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村上春樹

村上春樹 – 東京奇譚集

tokyokitan

奇譚集というぐらいなので、すこしおかしな(という表現はおかしいか。すこし歪んだ、ズレた感じのする、すこし非現実的だけれど、でもありそうな話、ような感じか)話が5編。「レキシントンの幽霊」のときのように”本当の話じゃないような気がするかもしれないけれど、実際にあって聞いた話で”のような感じもするけど、これは創作よねえ。

孤独な同性愛者のピアノ調律師の日常「偶然の旅人」、サーファーの息子を無くした母親がその浜辺で夏を過ごす「ハナレイ・ベイ」、すぐにありそうなのになくなってしまったものを探しに「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、移動する不思議な石の話「日々移動する肝臓のかたちをした石」、思い出のものと一緒に人の名前を盗んでしまう猿「品川猿」。もうだいぶ前に読んだのであまりおぼえてないのだけれど、パラパラめくってみると、文章のそこかしこから村上節というか、彼の文体の匂いが立ち込めてくる。「ハナレイ・ベイ」と「品川猿」が好きだったな。

新潮文庫 2007

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村上春樹 – レキシントンの幽霊

久しぶりの村上さん。実は村上さんの未読の本が溜まっていたりするのだが、長編にいまは手を出す気にならず、前からあった短編集を。表題となる「レキシントンの幽霊」からはじまり「緑色の獣」「沈黙」「氷男」「トニー滝谷」「七番目の男」「めくらやなぎと、眠る女」の7編。どれも90年代の作品。不思議な感覚に捉われる作品ばかり。

どれも短編なのにそうとは思わせない物語の奥深さ(というか重さというべきか)があるように思えて、一つ読むごとに本を閉じて、息をふぅとつかないと現実世界に戻ってこれないような感じ。一から十まで説明しているわけなんかないのに、少し読むだけでその物語で描かれる人物や不思議な生き物(?)などの背景やその場の光景が見え、横で体験しているかのような錯覚にとらわれてしまうほど、文章の魔力が強い。こういうところが村上さんが好まれる理由なのか、それとも村上さんが好む文学がこういう世界を持っているからなのか。

どの話も面白い、というか、なにかおどろおどろしいものを感じさせる。この本の場合は、ぼくら普通に暮らしている人間ではどうしても太刀打ちできないようなものがきっとどこかにあって、それらがいつぼくらを脅かすかわからないというような切迫感、というような感じか。

とくに「沈黙」では物語上は、クラスにいる同級生を殴った、というだけの話なのだけれど、どうしようもない悪であるとか、天災であるとか、こちらになにも譲歩してくれないものが確かに世の中には存在して、普段は気づかないけれど、いつの日か目の前に現れて災いを撒き散らす、というようなことが、きっとないとは誰もいえない、ようなことを示唆しているように思えるのだけれど、これがまさに阪神大震災とか東北の震災とかそんなもののことを言っているように読めて仕方ない(でも、この物語が書かれたのは1991年)。まさにバブルの絶頂期。だったのにもかかわらずこういう文章が生まれ出てくるというのは、世の中の影にはきっといつも大きな落とし穴があると考えているからかもしれないし、単に気まぐれから書いたのかもしれないし、純粋に文学的に書いたのかもしれないけれど、この短編集を読むと、なにかを予想していたんじゃないかと思わずにはいられない。

楽しい、というよりは、なにか不穏なもの、でもそれ自体はまだ遠くにいるように感じられるので少し安心できる世界、のような読み物。へんな表現。。。

文集文庫 1999

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村上春樹 – アフターダーク

なんだか、カット割りされた映像をみているような描き方の物語だった。ある一晩の、姉妹と、トロンボーン吹きと、従業員さんと、ホテトルと・・・あまり普通はかかわり合わないような人たちが、ささいなことでつながって、ある一つの事件に関わったり、それとは関わらず眠り続ける姉、などなど、散発的なシーンがコラージュのようにでてきては、消え、焦点を絞るのが難しいように見えてしまう物語。読みやすいのだけれど、全体の物語のゴールがわかりにくくて、一度読んでもわかんない。でも不思議にそれが嫌な読後感になったりしない、不思議なタッチの文章だとおもう。

感想書くのもやはり難しい。もいっかい読まないとわからない。
でもおもしろくないかといわれたら、そうではない。
なんか新鮮。

講談社文庫 2006

村上春樹 – 雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行

村上さんのこういう旅の文章ってほんとおもしろい。普通の紀行文とか旅の記録みたいなのとは実に違ってるから。なによりもあくまで主観的立場を貫き続けられる姿勢(当たり前か)、全体的なことより自分が見て感じたあまりにも細かいディティールに関する考察の多さ(笑)、そして文句が多いこと(笑)。もちろん村上さんには会った事ないけれど、人柄がにじみ出てるし、ちょっと意固地インテリっぽいところさえ素敵。

前半はギリシア正教の聖地アトス(半島)の修道院を巡る旅、そして後半はトルコを車で旅する。もちろん行ったところのことのみ記しているけれど、そこで見聞きしたことから村上さんを通して文章としてつづられるこの2つの場所の魅力とまったくそうでない部分、人々の暮らし、国というシステム、日本にいる間には絶対理解できない生き方、そんなものが克明に、かつちょっとひねくれて描かれていて楽しい。でも楽しいだけじゃなくて、ふーんと感心したり、行ってみたくなったり。

この人が書くと「実にしようもない場所である」と書かれたとしても、行ってみたくなっちゃうから不思議。

新潮文庫 1991

村上春樹 – 海辺のカフカ

ずいぶん前に出てたのは知ってたけれど、文庫本になるのを待ってたのと、なんとなくこの人の長編って、ほいっと手に取って読むような気になれず、読みたいなとおもって読むというタイミングが必要な気がする。

一度読んだだけだとなんともレビューかきにくい。

でもこの物語は村上さんの小説のなかでは読みやすいかも。あまりにも観念的になりすぎたり、よく読んでもわかりにくい細かなモチーフでてきたり、理解するまで時間がかかる登場人物がでてくるってわけでもないので、それでも「なんだろ」って思う部分は多々あるにせよ、まだ読みやすいかなーと思ったり。

少年のはっきりいってできすぎた大人びた理屈のわかってるような人間性の間にふと見える子供っぽさとか、ちょろっとでてくる女の子がちょっとワルっぽくてでもかわいい性格してるとか、妙なキャラが突然出て来て物語のキーを握ったりするとことか、なんか村上さんぽくていい。

というか、猫としゃべれるようになりたい。

新潮文庫 2005

 

 

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