甲山

西宮に住んでもう16年になるのに、今まで一度もいったことなかった甲山(兜みたいな形だからですかね)にうちから歩いていってきました。意外に近いところにあるし、車ではよく横を通ったりするし、西宮にいるとあちこちから見えるランドマーク的な(?)ところなのに。

どう行ったらいいのかわかんなかったので、調べて見ると夙川を登っていくと、北山公園があるので、そこから入ってずんずん公園(と言う名のちょっとした山)を抜けて、北山貯水池に出ると、もう甲山は目の前らしい。

薄曇りで小雨降りそうだけれど、日差しがなさそうなのが良かったので、今日時間あるしいってみようーと軽装でお出かけ。夙川までいってそれを遡っていく。夙川沿いは春先の桜でとても有名だけれど、この時期って紫陽花が見事なんですねえ、知らなかった。

北山公園まではスムーズにいったけれど、公園にはいってから道を間違い、えらいきつい階段ばかりの道をあるいて(妙龍寺のほうにいってしまった。勘だけで歩くとダメね)へこたれそうになったけれど、途中で軌道修正して、無事エクシオの森に。でもまた道間違って、ウロウロしながらなんとか北山貯水池へ。この北山公園内はちゃんと道を調べて行ったほうがいいですねえ。

で、甲山自体は10分ほどで登頂。標高は300mちょっとしかないですしね。山頂の見晴らしもっといいかとおもったけれど、この時期は笹やらなんやらが茂りまくってて全然見えず。

いい風にあたって体温も下げてから東側に下山。甲山森林公園を抜けて(こんな広い公園ってしらなかった、これまた車で前は通るのに!)関学のほうにでて、上ヶ原を縦断して帰って着ました。

11.3キロほど歩いて4時間。標高差は300mほど。靴の様子を見るという目的もあったんだけれどちょっと金具の裏側が当たって痛いなあ。衝撃吸収ジェルとか貼るといいのかも。もうちょい慣れないと。山道はいいけどアスファルトはしんどかった。ハイカットだから歩き方もあるんだろうね。

でも久しぶりに山歩き(のようなもの)をして楽しかった。山って登ってる時「なんでこんなことしてんねやろ」って思うけど、いい景色見えたり、いい風にあたったり、鳥の声きいたり、頂上についたりしたら、そんな気持ち忘れちゃうのよねえ。不思議。

祈る。

20200201

最近こんなことをふと考えた。

もしかしたら僕はまあまあお祈りするほうかもしれない。神頼みというわけではなくて、ただただ何かに感謝したり、家族や親しい人のことを想ったり、遠い不穏なことに思いを寄せたり。実際言葉をかわしたり、手紙やメールやメッセージを送るというのもいいのだけれど、ただその瞬間に何かに感じて、祈る、というように。何かを通ってその思いが願いがその先へ届いたり、単に遠くから思いを寄せてることが波となって伝わったり、そんなことが起きるならば嬉しいと思う。嬉しいと思う、というのも少し違うような気がするけど。

そう、もちろん祈ることによって、相手に何かが伝わればそれは素敵なことだけれど、そうじゃなくて僕の場合は、自分のためにもやってるような気がしている。祈ることによって自分の何かが救われたり、言い訳の代わりにしていたり、のちの後悔のことを先に感じて謝っている気持ちだったり。まわりの人のためでもあるけれど、自分の何かに向かっても祈っているんだな、と。

祈る時、その瞬間は、その対象となるものものへ気持ちで集中していっぱいになれる。ほかのまわりのことは忘れて。人間ってほんと常々自分のことばかり考えがち。仕事のことでも、食べ物のことでも、好きなことでも、結局は自分に帰結するようなことばかり考えてる。たぶん生物ってそういうものなんだと思う。でも、祈っている時はそこから一瞬離れることができる。言い方おかしいかもしれないけれど、それが気持ちいいのかもしれない。もちろん祈ってる言葉は自分からでてるのだから、やはり何か自分に帰結するようなことを心の底で考えてるのかもしれないけれど、少しそれが薄れるのじゃないかな。普段の、欲ばかりの時間から少し離れられること、何かどこか自分以外のものに役立ってるような気になれること、それらがしばしば祈る理由だとすると寂しい気がするけれど、きっとそうではないと信じている。

祈ることが、自分のためにも世界のためにもなっていればいいな、と想って、またときどき祈ろう。

新年のご挨拶

takei2020nenga

みなさま

旧年中はいろいろお世話になりました。
今年も何卒宜しくお願いします。

不穏なことばかりがクローズアップされて不安な世の中ですが
ひとりひとりの思いでもって、平穏な世界に向かいますように。

みなさんが今日も明日も健やかでありますように。

今年も良い一年でありますように。

令和二年 一月一日
武井努

金木犀

秋のこの時分になると住んでいるところの前に植えてある金木犀が満開になり、とてもいい香りがする。秋に生まれたからか、それは関係ないのかはわからないけれど、この香りがとても好き。そして同時に少し悲しい気分になる。秋という、もうすぐ寒くなっていろいろ終わっていく(こういう風に感じてしまう)という季節のせいなのか、それとも単にアレルギーのせいなのかはわからないけれど、無性に気分がしぼんでしまう。そしてこの金木犀の香りはその気持ちを際立ててくれたり、和らげてくれたりする。空が青いとなおさら。

橙色であの小さな花(と、ぱっとは思えない)が樹木全体にわーっとひろがっているのは可愛くて、美しく感じられる。昔は地味だなーと思っていたけれど。もしかしたら他の普通の(?)花のように、花の詳細が小さくて見えないからかもな。花というものは朝顔にしろ、牡丹にしろ、いろんな種類があって、少し観察すると、どこが花びらで、花弁でーと細かなところがわかってくる。それらをじーっと見ているとたまに怖くなったりする。結構グロテスクなビジュアルしてる花もあるもんね。全体なら綺麗に感じるのに、不思議。そういう意味では金木犀は何がなにかわからない(実際知らないし)ので、単に可憐だな、いい色だな、いい香りと思えるのが、好きな原因でもあるのかな。

人はいろんな記憶をもって生きていってるけれど、そんな記憶に結びつく大きなもののひとつは香りだそう。もしかしたら僕には少し寂しい記憶がこの金木犀に結びついているのかもね。でも、それでも、僕はこの金木犀の香りが好きだ、

北の大地

20191015

先週末の台風19号、各地に甚大な被害をだしていて、ニュース映像をみているだけで心がざわつきます。まだ先月の15号の被害も復興してないところにこの台風だったので本当にいろいろ心配です。それしかできないですが。1日も早い平穏の訪れをお祈りしています。

その台風の影響の残る中、飛行機が飛ぶのか?降りるのか?という確証もない中ですが、奇跡的にうまく運行してくれて、2日半ほど北海道に行ってきました。もう長い間札幌あたりしか訪れたことがなかったのですが(あと観光で小樽、そして演奏で倶知安)、今回は初めて道東・池田町に行きました。札幌から釧路たんちょう空港までの空路からの景色、そして帯広から札幌への列車旅の車窓、今回北海道の部分的なところしか移動しなかったですが、今更ながら北海道の広さを実感した日々になりました。

帰りの飛行機からの景色(晴れていたので、羊蹄山や支笏湖、洞爺湖なんかも見えましたし、内浦湾の形も大きさもよくわかりました)もそうですが、普段生活している大阪平野は狭いので、北海道の広さというのはほんと想像を絶するものがあります。そして、この広大な土地を開拓した人たちがいたということ、それでもまだまだ手付かずの原生林が広大にあること、そんなことに絶句したり驚いてばかりでした。

電車の車窓から見える景色も(JR北海道さん、頑張って窓の掃除してほしいです)季節がよかったのもあって素晴らしく、山はあくまでも山らしく、川が川らしくあったのが、新鮮な驚きでした。もちろん身近にも山も川もあるけれど、こういう感覚は持たないです。山もどこかに手がはいっていたり、都会の川なんて、ただの水路です。帯広からの車窓から時折見える川は、獰猛にうねり、自分が流れたいところを流れている、時には大きく太くなり、そうでければ静かに。造成もなにもされていない川はすごく自然で美しく見えました。山もそう、端から端までがちゃんと山の風格をしている。手の入っていない自然のままの姿形、美しいです。

そういうものをたくさんみて、人間もまた自然の一部なのだなあと当たり前のことを思いました。思い出した、というほうが正しいかもしれません。普段造り上げられた街にいると、そういう当たり前の感覚を失っています。青い空を見上げて嬉しくなったり、太陽の光を受けてほっとしたり、川の流れや海の波濤をみて恐れを抱いたり、それらは野生の感覚だと思います。そしてそういうものを失うのはとても勿体無いことだし、怖いことでもあると思います。昨今の大きな災害も、無論想定外なものがやってきて、ということもあるのかもしれないですが、我々が自然の一部であって、そこに生きているモノなのであるという感覚を忘れていることに起因するものも何かあるのではないかと思えてなりません。

今回の短い旅で、北海道、道東やまだ行っていない北も西もすごく気になってしまいました。またいい季節にいけたらと思います。自然はほんと素晴らしいです。

中華鍋

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一番手前が今回入手したもの。左奥が今までつかってたの。右奥がその前の中華鍋。どれもなんだか愛おしい。

最近なんだか台所周りのことが流行っています。自分の中だけで、ですけど。

先日もちゃんとした包丁の砥石を入手したのですけど、ちゃんと研ぐと包丁ってちゃんと切れる、という当たり前のことを今更ながらに知りました。ずっと前に手元にきた包丁をそのままずーっと使っていて、ちょっとずつ鈍っていくわけだけど、それでもそのまま使っていたので、まあこんなもんかーと思いながらいろんなもの切ってたわけです。が、研ぐと、よく切れる。よく切れると料理しやすいしストレスがない。そのストレスを感じたり補ったりする部分につかっていた力を本来のことに使えるので、いろいろ楽です。これ音楽もそうなのですけれど。

そして包丁を研ぐというが、非常に楽しい作業ということも知りました。ちゃんと研ぐには(無論ちゃんとしたこと何も知らないですが、自己流で)、角度とかやり方とかを注意してやらないといけないので、自然となにかある形のものへと、つまり効率いい形というか、姿勢がなったりしていきます。これ結構気持ちいいんですよね。集中するし。餃子を包むのも同じような楽しさがあるのですが、無心の楽しさ、というものでしょうかね。

で、包丁とはまた別で、長年使っていたフライパン(中華鍋との間ぐらいの深いフライパン)がもうだいぶダメになってきたので、まあ使い方も悪かったのですが、いつ新調しようか、なんてことを思っていて、ずいぶん前から教えてもらって目をつけていたIHでも使える中華鍋があるのですが、ついにそれを買いました。ついにっていうほど高い買い物でもないのですが、なんかこういうのって一種の気合が要りますよね。

本当は中華料理屋さんでつかうような全部鉄でできた中華鍋(ずっと前にも中華鍋使ってた)がよかったのですが、いまは空焼きできないので、同じ鉄製だけどもう少し手入れを簡単にできるものを買いました。リバーライト極ってシリーズなのですが、厚みもあって、ちょっとだけ重くていい感じです。

ずっと前に中華鍋つかってたときはお手入れもなにもやりかた知らなかったので、だいぶ雑につかってたのですが(まだ置いてあります)、今回は丁寧につかってみようと。道具にはその道具の扱い方がちゃんとあって、それを守るとちゃんと応えてくれる。モノってそういうものですよね。道理があるというか。楽器も同じですよね。たんに人間が好き勝手に使える便利な道具じゃなくて、使い方があって、それを見極めてやると素晴らしい力を発揮する、そんな部分があるのもまた楽しいのです。

丁寧にものをつかうというのに、今更ながらちょっと目が開きかけた今日この頃の雑記でした。

 

ケース

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Walt Johnsonのケース。またたくさん働いてもらいます。で、大事にします。

テナーのケースを新調しました。新調といっても中古なのですが。同じものが良かったのですが気に入って使っているWalt Johnsonケースはもう作ってないのだそうです。というのも最近は作りがよくなくてクレームが多かったからだとか(じゃあちゃんと作ってよ、という話なのですが)。なので新品を入手することもできないし、中古にするならばできれば昔の(10年以上前の)作りよかった頃のものが欲しかったのです。で、いろいろ探していたらたまたま中古品でいいものがでたので早速入手しました。毎回ケースを選ぶときは、軽さや見た目よりも丈夫さ(移動も多いし扱いも荒いし。飛行機もあるし)を重視して、そのとき一番頑丈そうだなと思えるものを選んでいるのですが、それでも壊れるんですよね。

それに伴い、今まで使っていたケース(これもWalt Johnson)や、その前に使っていてほったらかしになっていたもの(Jacob Winter 壊れかけてる)、だいぶ前に買い換えたて使ってないバリサクのケース(これも壊れかけてる&ハードケースで重い)などを処分することにし、粗大ごみとして処分場に出してきました。

これまでにケースを捨てたことは確か一度だけあった(さらにその前につかってたテナーのケース、これもwinter)のですが、このときはどうやって捨てたのか忘れてしまいました。が、今回は粗大ごみとして持って行ってもらうのではなく、直接処分場にいったので、目の前でゴミになって、他のガレキと一緒くたに粉砕処分待ちのゴミ捨て場に投げ入れられるのを見て、心が痛くなりました。たかがケースなんですけどね。楽器と違って。ケースは楽器を守るもの、ケースが壊れても楽器を守ってくれたらそれで十分役目を果たしてくれている、そういう性質のものなのですけど。なぜか「あああ」とか思ってしまいました。そして、もしかしたら別の場所では同じように廃棄されていく楽器たちもあるんだと思うとさらに「ああああ」と思ってしまいました。正しく人の手がかかって産まれてきたモノが粉々になるのは忍びないです、たとえそれが十分に役目を果たした後だとしても。

もちろん楽器が大事なわけですけれど、ケースも長い時間一緒にあって、あちこちへ一緒に行ったりしてるわけです。楽器があるところ、つまりぼくがいった場所にはケースも行ってるわけですよね。一番重労働させられて、それで傷だらけになって、テープで補修してあったり、懐かしい公演のシールが貼ってあったり。そんなケースを初めて愛おしいというと変だけど、そんな気持ちになりました。

ケースだけに限らず、モノってお金と交換したらどういうように使おうが自分の勝手だ、というのが普通の感覚かなと思うけれど、例えば時計とか服のように嗜好品として愛用するものとは違って、明らかに消耗品/耐久品であるこういうケース(鞄とかはまた扱い違うのかもしれないですが)などにも同じように思えたら、もっと世の中、いわゆる「もったいない」の精神が広まると思うのですが、どうでしょうか。

ちょっと話は逸れますが、その処分場の帰り道にラジオで、外国語の文化すなわち(とくに英語)いろいろ口にして説明する文化について話題になっていたのですが、何かを口に出して相手に気持ちを伝えたり説明したりすることはとても大事なことですが、一方口に出さないことは思ってないのと一緒、というようになってしまってるんじゃないかと思います。主張しないことは存在しない、のような。東洋圏ではなんとなく伝わる以心伝心の文化があって、口に出さずに察して伝わるという文化(もしくは察しさせられる)がありますけど、これはとてもいい文化だと思っています。察すること、は、思いやることに通ずるんじゃないかと。もちろん両者とも長所短所あってどちらがいいとは言えないですけど、ケースを処分したときに、もの言えないモノがもつ何かの雰囲気、どんなものにでも魂が宿ると考える我々祖先からの価値観なんかが、ふっとよみがえってきて、大事にしないと(気持ちもモノも)なと思ったのでした。

たくさんのケースたち、いままで長く付き合ってくれてありがとう。新しいケースも大事にします。

小さな骨

小骨
小骨

たしか2005年ぐらいにふとしたことからめだかを飼い始めて、最初は全滅させたりしながら、それでも子どもも生まれたりするまでいったのですが、やがてめだかじゃなくて熱帯魚になって(そういえば子どもの頃、玄関に水槽あって、ネオンテトラとキッシングがいたな)、水槽を拡大しながらなんやかんや飼っていたのですが(おもに綺麗だからテトラ系、そして底に沈んでるのがすきなのでドジョウとかコリドラスとかとか)、このところは忙しかったり、だから余裕なかったり、猫が2つに増えたりしたこともあって、だいぶほったらかしにしていて(それでももう生態系ができあがっていて、水が減ることはあっても汚れたりはしなかった)いたのですが、ついに誰もいなくなっちゃったので、一度片付けることにしました。

なので、付属品洗ったり、藻だらけになった水槽洗ったり、底に敷いてあった砂をだして洗って日干ししたりしたのですが(捨てたりしない)、その砂の中から小骨がちらほらでてきました。たいていのテトラのような小さな魚は何も残らない(もちろん亡くなったら水槽から出すし、たまに食べられたりするし(汗))のですが、一番長く生きていたフライングフォックスという種類のやつは結構大きくなっていたので(おとうさん、と呼んでいた。のたっとしてて可愛かった)たぶん彼(彼女?)の骨なんだろうなーと思いました。

サイアミーズフライングフォックス

こんなやつ(自分で撮った写真がでてこないから、ネットから代用)

というかずっと改善しなかったのですが、水槽を日のあたるところにおいちゃだめですよねw。藻だらけになるから。でも一度そこにおいちゃうとそこにあって当然になってしまうので、動かせなかったのですが。

ずいぶん長い間熱帯魚飼いましたが、こうやって片付けるとすごく寂しいものです。めだかたちのちょっと控えめな感じもよかったし、熱帯魚のちょっと肉食っぽいかんじや、そのフライングフォックスやどじょうのような底をはいまわるやつらの愛くるしさも懐かしいから、また始めるかも。でも面倒だしねぇ。なかなか写真で見るような綺麗な景観の水槽は作れなかったです。

出て来た小骨を見ながら、おとうさんと呼んだ魚を懐かしむ、夏のおわりなのでした。

熱帯魚さんたち
熱帯魚さんたち

えべっさん

今年もえべっさんに行ってきました。ぼーっとしていたら宵宮の日(9日)になってて、3日間とも夜に仕事があったので、一番余裕のあった11日の残り福のお昼に。ちょっとは空いているかなーと思いましたが、やっぱりえべっさん、平日昼間でも人出は多かったです。まあ本宮の夜ほどではなかったですがー。

赤門
赤門

空いていたのもあって、今年はまぐろにも触ってきました。実ははじめて。しっとりしてるかと思ったら乾いてた。んで、お金がうまくくっつかない笑

まぐろ
まぐろ

お参りもいつものように本殿のほかにもある小さなお社にもいき、笹もらって、おみくじひいて、飾り付けてもらって、お神酒もらって。さすがに屋台は物色したりしませんでしたが、途中のポン菓子にまた惹かれ(最近なんか気に入ってる)、ベビーカステラも買ってしまい、なんかえらい荷物になってしまったのでした。

でもやっぱり神社っていいなぁ。というのと、こう、毎年同じときに同じところにいくのっていいなあ。普段はもう曜日もなんも関係ない動き方しているので、こういう節目節目があるというのは気が引き締まったり、落ち着いたりするものなんですよね。

やっぱりいいですよねぇ
やっぱりいいですよねぇ

勘三郎さん

今日5日の昼のニュースで中村勘三郎さんの訃報をしる。まだ57歳の若さだというのに、残念でならない。舞台を2度だけ見ただけなのだけれど、この人がいなくなるというのは本当に大きなショック。やはりこのぐらいの年齢はいろいろあるのだろうか。

最初に見たのはたしか大阪松竹座で大好きな藤山直美さんとの舞台でだった。こういう舞台や歌舞伎なんかの世界とはまったく無縁というか興味があんまり向かない生活をしていたのだが、勘三郎さん(当時は勘九郎だった)はテレビでも顔を知っていたし、画面を通して伝わってくる人間味、おもしろさ、そして佇まいの良さをなんとなく感じていたので、期待して観に行ったのだが、芝居のおもしろさも直美ちゃんももちろんだが、勘九郎のおもしろさ、確かに舞台にいるのにまるで隣のおっちゃんを見ているかのような親しみ、何よりすばらしく高度で確実な芸からにじみ出る自信と謙虚さ、そんなものに魅了された。

そしてもう一度は大阪城公園西の丸に特設された平成中村座において。このときは初めてまともに見る歌舞伎で、特設とはいえ会場のすばらしさに感嘆し、分からないながらに歌舞伎のおもしろさにのめり込み、観衆の喜びようにうれしくなって、勘三郎をはじめ演者みなすばらしい芸で感動ひとしおだった。いままでこんな面白いものを知らずに生きて来て損をしたなと思ったほど。

それでもそれ以来歌舞伎などの世界を観に行ったことはない。機会がなかったのもあるけれど、やはり僕にとっては勘三郎さんがいたからなのかなとおもう。またいつかと思っているうちに病が発覚し、何度も復帰してきたけれど、まさかこんなに早く他界されてしまうとは。

いまの世の中、彼のように佇まい正しく、厳しさとユーモア、そして優しさ溢れる様子がありありと感じられるような人物はなかなかいない。プライベートではいろいろあっただろうけれど、芸、もしくはその世界を背負って立つ人間としてはとても立派な人物であったとおもう。世界は違うが同じ芸の世界にいて、彼のような人をみていると自分の足らなさ加減を思い知ることができた。そんな思いをさせてくれる人がいなくなり本当に寂しい。ああいう人が近くにいて言葉かわすことができたらなととても残念におもう。

どうか勘三郎さん安らかに。ありがとう、おつかれさまでした。