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雑記

ケース

newcase

Walt Johnsonのケース。またたくさん働いてもらいます。で、大事にします。

テナーのケースを新調しました。新調といっても中古なのですが。同じものが良かったのですが気に入って使っているWalt Johnsonケースはもう作ってないのだそうです。というのも最近は作りがよくなくてクレームが多かったからだとか(じゃあちゃんと作ってよ、という話なのですが)。なので新品を入手することもできないし、中古にするならばできれば昔の(10年以上前の)作りよかった頃のものが欲しかったのです。で、いろいろ探していたらたまたま中古品でいいものがでたので早速入手しました。毎回ケースを選ぶときは、軽さや見た目よりも丈夫さ(移動も多いし扱いも荒いし。飛行機もあるし)を重視して、そのとき一番頑丈そうだなと思えるものを選んでいるのですが、それでも壊れるんですよね。

それに伴い、今まで使っていたケース(これもWalt Johnson)や、その前に使っていてほったらかしになっていたもの(Jacob Winter 壊れかけてる)、だいぶ前に買い換えたて使ってないバリサクのケース(これも壊れかけてる&ハードケースで重い)などを処分することにし、粗大ごみとして処分場に出してきました。

これまでにケースを捨てたことは確か一度だけあった(さらにその前につかってたテナーのケース、これもwinter)のですが、このときはどうやって捨てたのか忘れてしまいました。が、今回は粗大ごみとして持って行ってもらうのではなく、直接処分場にいったので、目の前でゴミになって、他のガレキと一緒くたに粉砕処分待ちのゴミ捨て場に投げ入れられるのを見て、心が痛くなりました。たかがケースなんですけどね。楽器と違って。ケースは楽器を守るもの、ケースが壊れても楽器を守ってくれたらそれで十分役目を果たしてくれている、そういう性質のものなのですけど。なぜか「あああ」とか思ってしまいました。そして、もしかしたら別の場所では同じように廃棄されていく楽器たちもあるんだと思うとさらに「ああああ」と思ってしまいました。正しく人の手がかかって産まれてきたモノが粉々になるのは忍びないです、たとえそれが十分に役目を果たした後だとしても。

もちろん楽器が大事なわけですけれど、ケースも長い時間一緒にあって、あちこちへ一緒に行ったりしてるわけです。楽器があるところ、つまりぼくがいった場所にはケースも行ってるわけですよね。一番重労働させられて、それで傷だらけになって、テープで補修してあったり、懐かしい公演のシールが貼ってあったり。そんなケースを初めて愛おしいというと変だけど、そんな気持ちになりました。

ケースだけに限らず、モノってお金と交換したらどういうように使おうが自分の勝手だ、というのが普通の感覚かなと思うけれど、例えば時計とか服のように嗜好品として愛用するものとは違って、明らかに消耗品/耐久品であるこういうケース(鞄とかはまた扱い違うのかもしれないですが)などにも同じように思えたら、もっと世の中、いわゆる「もったいない」の精神が広まると思うのですが、どうでしょうか。

ちょっと話は逸れますが、その処分場の帰り道にラジオで、外国語の文化すなわち(とくに英語)いろいろ口にして説明する文化について話題になっていたのですが、何かを口に出して相手に気持ちを伝えたり説明したりすることはとても大事なことですが、一方口に出さないことは思ってないのと一緒、というようになってしまってるんじゃないかと思います。主張しないことは存在しない、のような。東洋圏ではなんとなく伝わる以心伝心の文化があって、口に出さずに察して伝わるという文化(もしくは察しさせられる)がありますけど、これはとてもいい文化だと思っています。察すること、は、思いやることに通ずるんじゃないかと。もちろん両者とも長所短所あってどちらがいいとは言えないですけど、ケースを処分したときに、もの言えないモノがもつ何かの雰囲気、どんなものにでも魂が宿ると考える我々祖先からの価値観なんかが、ふっとよみがえってきて、大事にしないと(気持ちもモノも)なと思ったのでした。

たくさんのケースたち、いままで長く付き合ってくれてありがとう。新しいケースも大事にします。

小さな骨

小骨

小骨

たしか2005年ぐらいにふとしたことからめだかを飼い始めて、最初は全滅させたりしながら、それでも子どもも生まれたりするまでいったのですが、やがてめだかじゃなくて熱帯魚になって(そういえば子どもの頃、玄関に水槽あって、ネオンテトラとキッシングがいたな)、水槽を拡大しながらなんやかんや飼っていたのですが(おもに綺麗だからテトラ系、そして底に沈んでるのがすきなのでドジョウとかコリドラスとかとか)、このところは忙しかったり、だから余裕なかったり、猫が2つに増えたりしたこともあって、だいぶほったらかしにしていて(それでももう生態系ができあがっていて、水が減ることはあっても汚れたりはしなかった)いたのですが、ついに誰もいなくなっちゃったので、一度片付けることにしました。

なので、付属品洗ったり、藻だらけになった水槽洗ったり、底に敷いてあった砂をだして洗って日干ししたりしたのですが(捨てたりしない)、その砂の中から小骨がちらほらでてきました。たいていのテトラのような小さな魚は何も残らない(もちろん亡くなったら水槽から出すし、たまに食べられたりするし(汗))のですが、一番長く生きていたフライングフォックスという種類のやつは結構大きくなっていたので(おとうさん、と呼んでいた。のたっとしてて可愛かった)たぶん彼(彼女?)の骨なんだろうなーと思いました。

サイアミーズフライングフォックス

こんなやつ(自分で撮った写真がでてこないから、ネットから代用)

というかずっと改善しなかったのですが、水槽を日のあたるところにおいちゃだめですよねw。藻だらけになるから。でも一度そこにおいちゃうとそこにあって当然になってしまうので、動かせなかったのですが。

ずいぶん長い間熱帯魚飼いましたが、こうやって片付けるとすごく寂しいものです。めだかたちのちょっと控えめな感じもよかったし、熱帯魚のちょっと肉食っぽいかんじや、そのフライングフォックスやどじょうのような底をはいまわるやつらの愛くるしさも懐かしいから、また始めるかも。でも面倒だしねぇ。なかなか写真で見るような綺麗な景観の水槽は作れなかったです。

出て来た小骨を見ながら、おとうさんと呼んだ魚を懐かしむ、夏のおわりなのでした。

熱帯魚さんたち

熱帯魚さんたち

えべっさん

今年もえべっさんに行ってきました。ぼーっとしていたら宵宮の日(9日)になってて、3日間とも夜に仕事があったので、一番余裕のあった11日の残り福のお昼に。ちょっとは空いているかなーと思いましたが、やっぱりえべっさん、平日昼間でも人出は多かったです。まあ本宮の夜ほどではなかったですがー。

赤門

赤門

空いていたのもあって、今年はまぐろにも触ってきました。実ははじめて。しっとりしてるかと思ったら乾いてた。んで、お金がうまくくっつかない笑

まぐろ

まぐろ

お参りもいつものように本殿のほかにもある小さなお社にもいき、笹もらって、おみくじひいて、飾り付けてもらって、お神酒もらって。さすがに屋台は物色したりしませんでしたが、途中のポン菓子にまた惹かれ(最近なんか気に入ってる)、ベビーカステラも買ってしまい、なんかえらい荷物になってしまったのでした。

でもやっぱり神社っていいなぁ。というのと、こう、毎年同じときに同じところにいくのっていいなあ。普段はもう曜日もなんも関係ない動き方しているので、こういう節目節目があるというのは気が引き締まったり、落ち着いたりするものなんですよね。

やっぱりいいですよねぇ

やっぱりいいですよねぇ

勘三郎さん

今日5日の昼のニュースで中村勘三郎さんの訃報をしる。まだ57歳の若さだというのに、残念でならない。舞台を2度だけ見ただけなのだけれど、この人がいなくなるというのは本当に大きなショック。やはりこのぐらいの年齢はいろいろあるのだろうか。

最初に見たのはたしか大阪松竹座で大好きな藤山直美さんとの舞台でだった。こういう舞台や歌舞伎なんかの世界とはまったく無縁というか興味があんまり向かない生活をしていたのだが、勘三郎さん(当時は勘九郎だった)はテレビでも顔を知っていたし、画面を通して伝わってくる人間味、おもしろさ、そして佇まいの良さをなんとなく感じていたので、期待して観に行ったのだが、芝居のおもしろさも直美ちゃんももちろんだが、勘九郎のおもしろさ、確かに舞台にいるのにまるで隣のおっちゃんを見ているかのような親しみ、何よりすばらしく高度で確実な芸からにじみ出る自信と謙虚さ、そんなものに魅了された。

そしてもう一度は大阪城公園西の丸に特設された平成中村座において。このときは初めてまともに見る歌舞伎で、特設とはいえ会場のすばらしさに感嘆し、分からないながらに歌舞伎のおもしろさにのめり込み、観衆の喜びようにうれしくなって、勘三郎をはじめ演者みなすばらしい芸で感動ひとしおだった。いままでこんな面白いものを知らずに生きて来て損をしたなと思ったほど。

それでもそれ以来歌舞伎などの世界を観に行ったことはない。機会がなかったのもあるけれど、やはり僕にとっては勘三郎さんがいたからなのかなとおもう。またいつかと思っているうちに病が発覚し、何度も復帰してきたけれど、まさかこんなに早く他界されてしまうとは。

いまの世の中、彼のように佇まい正しく、厳しさとユーモア、そして優しさ溢れる様子がありありと感じられるような人物はなかなかいない。プライベートではいろいろあっただろうけれど、芸、もしくはその世界を背負って立つ人間としてはとても立派な人物であったとおもう。世界は違うが同じ芸の世界にいて、彼のような人をみていると自分の足らなさ加減を思い知ることができた。そんな思いをさせてくれる人がいなくなり本当に寂しい。ああいう人が近くにいて言葉かわすことができたらなととても残念におもう。

どうか勘三郎さん安らかに。ありがとう、おつかれさまでした。

 

簡単エコ?節電?

はやいもんでもう7月ですね。ついこないだ桜が咲いたな~と思い、舞台がいろいろあって、蛙が鳴きだしたな~(うちの前は田んぼ)と思ったら梅雨がきて、気づけば7月・・・・と、ほんと月日の経つのははやいですねー。

今年(昨年もだけど)はほんとのことはどーだかわからないけれど、遂に関西でも「計画停電」なるものの計画がでてきたので、ぼくもちょっとは節電したいなとおもっていたのですが、一番手っ取り早い節電方法に取り組みました。

散髪ですw

実際昨年秋から切ってなかったので、最近ぼくをごらんになった方は知ってらっしゃるかと思いますが、めちゃ長かったんです、髪。まぁいつも7,8ヶ月毎に切りに行ってるので、今日切ってきました。

こんなん

こんなんになりました(^^)

たぶん、この数年で一番短いです、20cm以上切りました。美容院のお兄さんに「え?いいの?」的な反応されちゃいましたが(笑)。これで一気に節電できますよ(ホント)。ドライヤーの時間が半分になるでしょうから(笑)。頭もかるくなって涼しいです。でも節電で節約できる費用より美容院代のほうが高いだろうけど(^^ゞ

みなさんもちょっと涼しくしてみるの、いかが?w

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