勘三郎さん

今日5日の昼のニュースで中村勘三郎さんの訃報をしる。まだ57歳の若さだというのに、残念でならない。舞台を2度だけ見ただけなのだけれど、この人がいなくなるというのは本当に大きなショック。やはりこのぐらいの年齢はいろいろあるのだろうか。

最初に見たのはたしか大阪松竹座で大好きな藤山直美さんとの舞台でだった。こういう舞台や歌舞伎なんかの世界とはまったく無縁というか興味があんまり向かない生活をしていたのだが、勘三郎さん(当時は勘九郎だった)はテレビでも顔を知っていたし、画面を通して伝わってくる人間味、おもしろさ、そして佇まいの良さをなんとなく感じていたので、期待して観に行ったのだが、芝居のおもしろさも直美ちゃんももちろんだが、勘九郎のおもしろさ、確かに舞台にいるのにまるで隣のおっちゃんを見ているかのような親しみ、何よりすばらしく高度で確実な芸からにじみ出る自信と謙虚さ、そんなものに魅了された。

そしてもう一度は大阪城公園西の丸に特設された平成中村座において。このときは初めてまともに見る歌舞伎で、特設とはいえ会場のすばらしさに感嘆し、分からないながらに歌舞伎のおもしろさにのめり込み、観衆の喜びようにうれしくなって、勘三郎をはじめ演者みなすばらしい芸で感動ひとしおだった。いままでこんな面白いものを知らずに生きて来て損をしたなと思ったほど。

それでもそれ以来歌舞伎などの世界を観に行ったことはない。機会がなかったのもあるけれど、やはり僕にとっては勘三郎さんがいたからなのかなとおもう。またいつかと思っているうちに病が発覚し、何度も復帰してきたけれど、まさかこんなに早く他界されてしまうとは。

いまの世の中、彼のように佇まい正しく、厳しさとユーモア、そして優しさ溢れる様子がありありと感じられるような人物はなかなかいない。プライベートではいろいろあっただろうけれど、芸、もしくはその世界を背負って立つ人間としてはとても立派な人物であったとおもう。世界は違うが同じ芸の世界にいて、彼のような人をみていると自分の足らなさ加減を思い知ることができた。そんな思いをさせてくれる人がいなくなり本当に寂しい。ああいう人が近くにいて言葉かわすことができたらなととても残念におもう。

どうか勘三郎さん安らかに。ありがとう、おつかれさまでした。

 

簡単エコ?節電?

はやいもんでもう7月ですね。ついこないだ桜が咲いたな~と思い、舞台がいろいろあって、蛙が鳴きだしたな~(うちの前は田んぼ)と思ったら梅雨がきて、気づけば7月・・・・と、ほんと月日の経つのははやいですねー。

今年(昨年もだけど)はほんとのことはどーだかわからないけれど、遂に関西でも「計画停電」なるものの計画がでてきたので、ぼくもちょっとは節電したいなとおもっていたのですが、一番手っ取り早い節電方法に取り組みました。

散髪ですw

実際昨年秋から切ってなかったので、最近ぼくをごらんになった方は知ってらっしゃるかと思いますが、めちゃ長かったんです、髪。まぁいつも7,8ヶ月毎に切りに行ってるので、今日切ってきました。

こんなん
こんなんになりました(^^)

たぶん、この数年で一番短いです、20cm以上切りました。美容院のお兄さんに「え?いいの?」的な反応されちゃいましたが(笑)。これで一気に節電できますよ(ホント)。ドライヤーの時間が半分になるでしょうから(笑)。頭もかるくなって涼しいです。でも節電で節約できる費用より美容院代のほうが高いだろうけど(^^ゞ

みなさんもちょっと涼しくしてみるの、いかが?w

Nikon V1

別に趣味という訳ではないのだけれど、数年に一度ぐらいカメラ熱が湧いたりして(というか何でもないものを写したりするのが好き)、カメラを持ちたくなったり、なんじゃかんじゃといらんもの写したりする時があるんです。で、このところずーっと愛用していたのはコンデジのリコーのR10だったんですが、使い方の荒さのせいか(というか小さなねじが何本か抜けていってるのをわかりながら無視してた)、先日のミュージカル「ユニバース」のとき落としたりしたからか、このところ映像に陰がでるようになり(たぶんレンズか映像素子かそのあたりがなんかずれてるよう)ピントも合いにくくなってきていた。でも使えるんだけど。

買い替えてもいいかなぁと思っているときに、いま吉本でご一緒してるSさんがニコンのミラーレスを持ってきたもんだから、そこからまたカメラ熱が再沸騰して、Zさんにも「どーすんねーん」とか言われながら迷いに迷って、ついにNikon V1を入手しました。ええタイミングで新古品がでたのもあって。ちょっと大きなボディだけれど、逆に手にしっくりくるのでいい感じです。

RICOH R10
RICOH R10
Nikon V1
Nikon V1

昔からのあこがれメーカーNikon、やっぱいりいなぁ。アナログカメラのときはミノルタだったもんなぁ。最近のこのミラーレスタイプのデジカメはいろんなレンズが使えるようなので、これからいろいろいじって楽しめそうです。前使ってたレンズ、つけられるかなぁ。またおもちゃ増やしちゃった(笑)

ま、5月がんばったから、ご褒美ご褒美(という言い訳 笑)

お約束のうちのねこ
お約束のうちのねこ


Nikon V1 薄型レンズキット


ダブルズームキット

MAC来たる

新旧MAC君
新旧MAC君

以前スティーブ・ジョブスが亡くなったときにも書きましたが、僕はどちらかというとMac派です。でも大学時代や仕事をしていたときなどはWindows(というよりDos/Vマシンといったほうがいいか(笑))ばかり使っていたので、いまでも仕事用に(乱暴なことをやるにはWinがいい)使っていますが、やっぱりMacが好きで手元には必ず置いてあります。

ずいぶん前に買った(もちろん中古で)PowerBookもまだまだ現役なのですが、少し前からまたMac熱がわいてきていたようで、ここ1月ほど「新しいMac欲しいな、欲しいな(たまに物欲が湧くのです)」と思い、PowerBookでMacBookを眺める日が続いていたのですが、ついにやってきました!(でも、やはり中古)。ひとが持っているときはこの新しいタイプのぺたぺたしたキーボードが馴染めない感じ(やっぱり昔ながらのコンピュータのあのがしゃがしゃしたキーボードが好き)ですが、やっぱ手元にくると可愛いもんです、勝手なもんですねw。

G4から一気にi7にグレードアップ。はやー、きれー、快適ー、とひとしきり感心しているだけなのですが、徐々にデータも移していかないとなーと。せっかくなので家のデータ置き場所をこの際NASにしてしまおうか、とかも考えてしまいます。余計な買い物しちゃいそう。それよりもはやくマウスとケース買わないと。トラックパッドは慣れないなぁ。いまいろいろ忙しくてこんなことやってる場合ではないのですが、ちょっとした逃避にはもってこいです(笑)。

で、現役を引退する予定のこのPowerBookG4、どないしようか悩み中です。いる人いるかなぁ。ちょっとキーボード壊れてるし(ネコに破壊された)。可愛いからやはり持っていてもいいんですけどねー。

何はともあれ、春先の自分へのプレゼントでした。ああ嬉し。

最後の進水式

先日9日、以前働いていた職場の進水式にいってきました。会社の門をくぐるのは実に11年ぶりでした。久しぶりに訪れる会社付近は変わっているところもありましたが、ほとんどは以前のままの姿で懐かしさが込み上げてきました。もう働いていた年月より退職してからの年月のほうが長くなっているのに、結構細かいところまで憶えているものなのですね。

進水式
進水式

これまでにも進水式のお誘いは数多くあったのですが、今回訪れたのはこれが最後の進水式となるからでした。明治の時代から100年以上にもわたって船を造り続けてきたこの場所で船を造る(商用船ですが)のが最後というのは、なんとも表現しがたい気持ちにさせるものです。一つの時代、希望と夢にあふれた時代が終わるんだな、と思いました。

広大な工場の敷地、建屋たち、見慣れた作業服のひとたち、懐かしい職場の省略名(ヘルメットとかに書いてある)などなど、船台に近づいていくにつれ懐かしいものがたくさん目に入って来ました。船台の下には事務所や作業員さんたちの休憩所、倉庫なんかが並んでいて、そのどれもが長い年月を経て古びてきているけれど、その役目はいまだしっかり果たしているし、丁寧に使われているのがわかるし、ここでたくさんの人々が働いていた、悲喜こもごもがあったんだろうなと想像できるものでした。

船台の下
船台の下
船台って広い!
船台って広い!海の上にあるのは進水した船

あいにくの雨模様でしたが、たくさんの見学者たち、社員や関連会社のひとたちが見守る中、1296番船となる(造船当初から数えているそう。が、同じ番号の船が造られたこともあり、いままで1600隻あまりが造られた)自動車運搬船エメラルド・エース号が進水しました。何度見てもこのすべり式の進水式は見応えがあります。今回の船は少し小振りでしたが(といっても全長200mある)轟音とともに海へとすべりおちていく様子は圧巻でした。くす玉が割れたり、紙テープや風船が風に舞ったりするのも綺麗です。

いよいよ進水というときには船を止めていた支えが外されたり、船上でさまざまな作業したりするのですが、これらの仕事もこれで最後なのか、と作業をする方々が無言で語っているようにも見え、すこし寂しい気持ちになりました。特に船のような大型構造物はひとつのものを造るのに数年かかります。それだけに一隻一隻がどれも愛おしいものだろうし、それらを造る仕事自体が終わってしまうというのは、どんな気分がするのか想像を絶してしまいます。ぼくたちが生まれる遥か前から使われていたものがもう使われなくなるということ、この場所から人がいなくなること、時代の流れとはいえとても寂しいことです。

やっぱりモノ作りはいいなぁと思います。とくにこんな大きなものを造るというのは。こういう仕事はすごく魅力的だし、もっと注目されていいのになぁとつくづく思います。モノを作るという仕事や現場がもっと尊敬されてもいいのになぁとも思います。

JR和田岬駅
すっかり様変わりしたJR和田岬駅

えべっさん

えべっさん
えべっさん

今年も西宮えびすに行ってきました。今年は9日の宵えびすでしたが。西宮えびすはそんなに境内が広くないのと、門が狭いのでやたら混むのが嫌なので、9日の早い目の時間にしてみたのですが、やっぱり一杯でした。西宮に住む前から来てますが、年々混んで行っているような気がします。世間でいうところの不景気だからでしょうかねぇ?ぼくは実は不景気なんじゃないんじゃないかと思ってるのですけれど(あるところにはある、という意味で。百貨店の福袋も飛ぶように売れるそうだし)。

初詣や今月末の厄払いもそうなんですけれど、1年という期間のめぐり毎に同じことをして、仕切りなおす、見つめなおす、気を引き締める、ということ自体が好きで、とくにこのえべっさんは賑やかさといいあの笹といい大好きなので毎年欠かさず行ってます。

今年の西宮えびすは一段と警備というか交通整理が厳しくなっていて、思ったように境内をうろうろできず失敗しました。いつもは参拝>笹>おみくじ>飾り>お神酒、なんて順番で回るのですが、今年はお神酒にたどり着けなかった!くやしい(笑) なんかいつもやってることがひとつでも欠けると物足らない気持ちになりますよねぇ。

賑やかになった笹
笹に飾りをつけてもらうの好きです!

今年も笹にたくさん飾りをつけてもらいました。つけすぎっていう意見もあるけど(笑)

この一年がみなさんにもぼくにも実り多き一年となりますよう。

ありがとうございました。

あと8時間ほどで2011年も終わりですね。今年はやはり3月11日の地震とつづく原発災害に右往左往するばかりだった1年でしたが、みなさまにとってはどういう一年だったのでしょうか?僕にとっては本当にいろんな意味で濃い一年だったような気がしています。

やはり何と言ってもアルバム『TAKE TAKE』を作れたのが一番のトピックでした。やっと現在の自分にとっての名刺と言えるアルバムをリリースできたのはほんと嬉しいことでした。さらに今年は今までで一番ライブをたくさんやりました。さっき数えましたがちょうど250本でした。その他にもいろいろたくさんやりましたし、させて頂きました。アルバム以外でのレコーディングもちょこちょこやりました。演奏以外では「THE SAX」や「WAY OUT WEST」という雑誌の記事も書きましたし、「TAKE TAKE」や「Takeshi plays Takeshi」のジャケット制作も楽しかったです。

こうやって10年を越えて音楽一筋でやってこれているのも、聴きにきてくださったたくさんのみなさん、そして共演した数多のミュージシャンのみなさん、お店やホール、イベント制作、スタジオ制作のみなさんのおかげだと思います。みなさんの期待にはまだまだ十分応えられていないと思いますが、これから先、少しでもいい音出せるようにしていきたいです。

2012年もぼちぼち頑張っていきますので、みなさまよろしくお願いします。まだお会いしていないたくさんのみなさん、まだ共演していない多数のミュージシャンのみなさん、来年こそお会いできることを楽しみにしています。

今年一年ありがとうございました!

皆様、よい年を!

42。

今日10/20はぼくの誕生日です(でした?)。みなさんからたくさんメッセージをいただきました。本当にうれしいです、ありがとうございます。

昨日までの41という年齢の1年はある意味大きな変化のはじまった時期でした。4月にも書いたように音楽に携わって10年になり、自分の足跡を見つめ直す時でした。41の自分は少しずつ成長はしてきていたかもしれないけれど、31のときに思い描いてた10年後の姿からはかけ離れたものでした。でもこれはこれでよかったと思っています。まぁ何事もグズで取りかかるのに時間がかかってしまう質(たち)なので仕方ないといえばそうなのですが、考えたり回り道したり、一見無駄だと思える時間を過ごしたり物事にこだわったりしたことは、確実に今の自分の糧になっているなと感じることができるからです。

そして父を亡くしました。父は頑健だったのでいつまでもそこにいてくれるというような錯覚を抱いていましたが、そんなことはありえないですね、当たり前。いつか、いつか、と思っていた親孝行と呼ばれるようなことをひとつもできず、わがままばかり言ってふらふらし続ける僕に「飯は食えているのか?」とだけ言ってくれた父。そんな父がいなくなって、そして家族のこと、もっと広く人と人とのつながりのこと、そんな普通にあるとても大切なことにまったく気づいてなかったことに気づかされ、最後まで父には教えてもらってばかりだなと思いました。

もっとほかにもいろいろいろいろあったけれど、何よりもそんな41の自分がそのまま封じ込められたアルバム『TAKE TAKE』を作ることができたのは大きな出来事でした。作っているときは何も思っていなかったけれど、今聴いているとこのアルバムにはこの10年の、そして41の自分がそのまま反映されているな、と感じることができます。今だからこそできたアルバムだな、ととても満足しています。

そして強く思うのは、何事も最終的にはひとりでやりきらなければならないけれど、その周りにみなさんや仲間がいてくれるからこそ出来たことばかりだということです。大なり小なり、強い弱いという程度はあったとしても、いろんな局面でいつもひとが少しずつ力を分けてくれたおかげ、そんな繋がりのうえに僕は立っているんだと実感しています。

さて、今日から42です。だからといって突然何かが変わる訳ではないですが、これをまたマイルストーンとし、いまからはじまる一年に期待と不安を抱きながら、また遠い未来に42歳という年はあんな年だったなーと笑えるようになれたら、と思います。

ぼくに心を送ってくれたみなさんにそれ以上の恵みがありますよう。そしてすべてのひとが健やかでありますよう。

ありがとう。