池井戸潤 – 銀行仕置人

ginkoshioki

池井戸さんの銀行話の本もいくつか読んできたけれど、なかなか飽きさせないのはさすがだなあ。メガバンクという巨大で、一人の人間では動かしがたい大きな組織。渋っていたのに稟議を通してしまったばっかりにその結果焦げ付いた融資の責任を取らされた主人公・黒部。彼は「座敷牢」というところに追い込まれるが、そこで出会った人物に、このメガバンク内の不正を暴くという影の仕事が舞い込む。。。

表側から見ているとちっともわからない(あんまり用事ないし)銀行。株式もそうだけれど、お金のやりとり、とくに融資というのは、本来その会社なり組織に対して応援するものであったはずなのに、今やそれはたんなる投資、金が金を産むという形でしか成り立たないものになってしまっているように見える。そこに義もへったくれもない。そして、そんな巨額の金を動かす影に銀行と他との人間的な癒着があり、、、本当にこの池井戸さん描くような事件があるのかどうかわからないけれど。明るみにでないのも、こういう大きな組織ならではかもしれない。

銀行員といえ、金を扱っている以上、組織は揺るがなくとも、個人としては弱いもの。大きな陰謀に一銀行員がどう立ち向かっていくのか、、、ちょっとハリウッド映画のネタになりそうなお話。

双葉社文庫 2008

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池井戸潤 – シャイロックの子供たち

shairokkku

東京の下町のある銀行支店のなかで起こるいろいろな事件。それはそのまま支店内部の人間模様、そしてその銀行そのものの組織の闇に繋がっている。 10編の短編で構成されてて、主人公が変わっていくのだが、どれも同じ支店内の人間。バラバラの人間模様かと思えば、それらが最後にまとまっていくのが面白い。

ある日起こった現金喪失事件。その犯人と目されたのは若い女性行員だった。しかし 時を同じくして別の男性行員が失踪。若手ナンバーワンと自他共に認める行員のおかしな成績、社内恋愛のもつれ、上層部の軋轢、、、、表からは見えない銀行の裏側の人間関係とそれを引き起こすゆがんだ体質、銀行そのもののおかしさが浮き彫りになる。

整然と冷静に、効率よく、数字がすべてできっちり動いているように見える銀行も、それらはすべて結局人間が動かしている。とするとそこには数字にはでない人間模様が。実際池井戸さんが描くような内実はどこにもあるようなものなのか、それとも突飛なものなのかわからないけれど、銀行という立場や組織が特殊であるのはなんとなくわかる。そして怖い。金と成績がすべて、というような世界には生きたくない。でもそうではなくて社会的意義に燃える人もいるのだろう。いろんな人がいて、そして彼らには家族がある。この物語では個人個人に焦点を当てながらかれらの家族とのことも描かれる。なぜ銀行で働くのか、どうしてそんなことになってしまったのか。

シャイロッックというのは、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」に登場する悪辣、非道、 強欲な金貸しで、そこから転じてそういう人物をシャイロックと呼ぶそう。

2006 文集文庫

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池井戸潤 – 不祥事

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花咲舞 – 通称「狂咲」が大活躍する銀行もの。池井戸さんらしい作品といえるのかな。人事の圧力でエリート路線から事務部の調査役になった相馬のもとに彼女はやってくる。お墨付きの問題児だが仕事はできる。二人の仕事は臨店、その名の通り各支店をまわって主に窓口などの業務の改善を指導する仕事。

普段利用しているとそんなことがあるとは思えないけれど、銀行業務にはたびたびミスがあるらしい。記載の間違いから、入金や出金のミスなどなどだそう。そういうミスが多い店舗を順に巡って指導していくわけだが、そのミスがでるのにも原因が。それはコスト削減を名目にした主力であるはずのベテランの首切りであったり、いじめであったり、はたまた行員の不正であったり。そういうミスの陰に潜む銀行や行員の実態をあばいていく二人。ただ花咲はかなり強引なやり方をするので、相馬はたまったものではないのだが。

利権と派閥によってがんじがらめになっているメガバンクという組織の中では、働いている人間はコマにしかすぎず、それは権力の前にはなんの力もない。しかしそういった人間には彼らの家族があり、生活があり、幸せがある。そして銀行は一部の人間の欲のために存在するのではなく、よりよい社会のために存在する。そう大きな声でいう花咲の一挙一動に読んでいる側は手に汗を握り、爽快感を感じ、ほっとすると同時に、得体の知れない大きな力に覆われたこの国の社会にも、まだ救われる部分があるのじゃないか、もっとみんなで手をとりあって頑張って、未来に希望をもつことのできr社会に変われるんじゃないか、というような期待、願いが湧いてくる。

短編になってて読みやすいのもあるけど、とってもいい作品だと思った。紋切り型の時代劇のようにわかりやすい作品ではあるけれど、複雑に心を乱され考えさせられる作品もいいけど、こういう話を読むと心が和む。これこそ必要なことなのかも。

講談社文庫 2011

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池井戸潤 – ルーズヴェルト・ゲーム

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池井戸さん久しぶり。テレビドラマにもなったらしいこの本。ある中堅の精密電機メーカーの業績不振とそのあおりを食らう同社が伝統的にもっている野球部のお話。

いまはこの本と同じようにどこの企業も潤沢ではない時代になってしまっただろうから、企業が野球チームを維持していくのは大変だと思うけど、まだ頑張っているところは少なくない(都市対抗野球って大概企業チームがでますよねえ)。でも企業のイメージ戦略や、宣伝などがリアルな方法からメディア戦略、そしてネットの世界へも広がっていくなか、企業がもつ野球チームの立場も変遷し微妙になってきているのかも。かくいうぼくがかつていた企業は事業所毎にチームがあったりしたけど(しかも強かった)、いまはどうなんだろう。

他から一歩抜けた技術はあるけど、大手の値下げ競争の前に青息吐息のあるメーカー。銀行からも(銀行がちゃんと出てくるとこがやっぱり池井戸さんらしい?)コストダウンをしないと融資はないと言われ、リストラの風が吹き抜ける。そんななか、昔はよかったけれどいまはいまひとつパッとしない野球部にも矛先が。創業者が作ったチームなだけになかなか手を出せてこなかったが、ついに聖域にメスが。

一方企業としても新製品の開発なくしては状況の打開はなく、執行部、技術屋の間でもギスギスした雰囲気が。はたしてこの会社は生き残れるのか。野球チームはどうなるのか。そしてそれらの間でいろいろ揺れ動く現社長。創業者からすべてを任された彼がどういう決断をするのか。

相変わらず話の流れがうまく、山あり谷あり、生き生きとしたキャラがいて、魅力的な物語。そしてまるでテレビの時代劇を見ているかのような安心感(?)。池井戸さんっていいなあと思う。でもこの本はある意味先が読める感じで(そこがいいんだけど)、すこし物足りないといえばそうかも。でも落とし所は見事だった。

こういう話読んでると、やっぱりメーカー、モノ作りっていいよなあとつくづく思う。できあがった製品もいいけど、そこに至るまでの時間とか人間関係とか紆余曲折とか、そういうアナログなものが、ほんと魅力的。でもそういうものがどんどんこの国から減っていってて、それを実感できる人間も少なくなれば、こういう物語も廃れていくんだろうか。寂しい。

講談社文庫 2014

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池井戸潤 – 株価暴落


半沢直樹シリーズとおなじ銀行もののお話。ただしこっちのほうが半沢シリーズより前にかかれたのかな。巨大スーパー・一風堂が爆破される。それは企業テロだった。顧客は不安になって店から離れていく。拡大路線一筋だったこのスーパーはまさにいま業績不振からの経営テコ入れ、銀行融資を受けたところだったのに、事件によってさらに業績は悪化、株価は下がっていく。こんなときその主力銀行はどうすればいいのか。倒産を免れるために支えるのか、それとも・・・。融資を審査し苦い反応をしめす主人公・坂東と銀行経営を上手く行かせたい企画部の二戸は正面衝突する。

そしてこの事件の犯人と目された人物の親は一風堂出店により軋轢が生じた小さな商店街で反対運動をした男でだった。その男は自殺をしていた。これは恨みからの犯行なのか?

長年に亘って築かれたシステムを守るのが大事なのか、それともあくまでバンカーとしての姿勢を貫くことが大事なのか。テーマはお金に翻弄され人生を狂わされる人たちや社会を守ること、そしてやもすればそれと対立する銀行という私企業のあり方、それらが天秤にかけられることが描かれる。今が大事なのか、先のことを考えるべきなのか、お金というものの力を思い知らされる。たしかにこれは判断するに難しいこと。大企業の倒産というのはそれだけでたくさんの人を巻き添えにすること。でも一方銀行は金を正しく運用することが一番大事なこと。これらは時には相反する。

そこで悩む主人公。根回しして主人公を追い落そうとする誹機の中の敵。企業テロの陰に見え隠れする別の顔。一体犯人の狙いは何なのか?

銀行のことは組織もなにもわからないので組織名や役職を読んでもぴんとこないので、最初は少々読み解きにくい部分もあるけれど、まあなれたら大丈夫。でも、読めば読むほど銀行っていうのは特殊な組織・体質なのだなと思う。彼らは実際には何かを産んだりしないもんな。だからこそ権力を握ろうとしたりするんじゃないだろか。バブル以降、銀行も潰れるというような世の中になってさえ、やはり銀行はどこか違う地平にあるような気が、読んでいてする。

銀行の組織の話、そして企業との関係、そしてテロとそれにまつわる企業の評価の推移。それらをうまくつなげて犯人は見事な作戦を練り上げている。それがどう解かれていくのか、そのあたりもスピード感あってぐんぐん読めて面白い。でも、もう少し(銀行というところを描こうとするからそうなるのかもだけれど)スムーズに読めるといいんだけどなあと思う。ムズカシイ言葉がおおいから、か。

あと最後ももうひとつ物語欲しかったなぁ。ラストがだいぶ急いだ感じするから、ちょっとだけでも頭取という人間を見てみたかった。

文集文庫 2007

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池井戸潤 – オレたち花のバブル組

「オレたちバブル入行組」につづく、半沢直樹シリーズの2冊目(だと思う)。金融庁の検査の話がひとつのテーマなのでテレビドラマだったのはこっちかな?投資で損失をだしてしまった老舗旅館の再建を押し付けられた半沢。そこに金融庁検査がやってくる。旅館の再建策がうまくできなければ金融庁検査をかわせず、銀行は損失を負うことになる。銀行の内部は相変わらず銀行のためではない派閥争いや個人の権力ための人事によって半沢の邪魔をするものも。こんな状況をどう突破するのか?

最近では落ち着いた感があるけれど、一時銀行の統廃合がたくさんあった。あまりにも統廃合があったのでもとの銀行の名前がわからないほど(逆に東京三菱UFJみたいな変なのもあるけど)。外から見てたらわからないけれど、この物語で描かれているように統合による銀行内の軋轢というのは相当なものがあるだろうし(そもそもシステムを統合するのってすごく難しいはず)、元どちらの銀行かという争いもあるだろう。そんなことは利用者には関係ないのにそれによって間接的に利用者が損というか迷惑を被ってるかもしれない。

それといまはどうなのかしらないけれど金融庁との関係。国と大企業との関係もそうだと思うけれど、ある程度なあなあなところもあって仕方ないかもしれないのだけれど、ここで描かれる金融庁検査もそのひとつのよう。まあ話はとぶけれど国会も予定調和的なとこがあるのか、同じように見えてしまうけれど、”抜き打ち”とか”予定外の質問”なんてのはあってないような感じ。官公庁とそれに守られて来たものたちの癒着。

そんななかで、銀行マンとは何か?というものの本質を体現するかのような半沢の活躍はおもしろい。もちろん話の中でこういう業界の裏側(ぼくたちが知ることのないような面ね)を垣間みるのも楽しいけれど、大きな権力と個人的なネットワークとの戦いとか、大企業と下請けとか、池井戸さんの描く図式はある意味分かりやすいパターンでいい。でもその分かりやすいパターンをつまらなくならないように作るのは難しいことだとおもう。そして面白くて最後までざざーっと読んでしまえるのも、池井戸さんのすごいところだと思う。

今回は半沢まわりの銀行内での戦いと、同期で出向している近藤の戦いの2つの話がうまく重なり合うようになってて構造が立体的になってて面白い。そしてやっぱり読者は弱者の見方。悪しき強者がやっつけられるのはもちろん面白い。よくみたらかなり過激な人間であるのに半沢を応援したくなるのよね。ほんと魅力的なキャラ。

文集文庫 2010

池井戸潤 – オレたちバブル入行組


テレビで大ヒットした言わずとも知れた半沢直樹シリーズの原作、かな。ほとんどドラマは見てないので堺雅人が主人公半沢を演じていたのと、「倍返しだ!」という台詞のイメージだけしかなかったので、ほとんど邪魔されずに読むことができたけれど、やっぱり最初のころは半沢が堺さんのイメージになってしまっていたりした。

ま、それはさておき、もと銀行員だった(らしい)池井戸さんだからなのか銀行の内部事情が詳細で、そのために無理なく自然な流れ。突然の理不尽な融資の強行と、その後の融資先の倒産。そしてその融資焦げ付きの責任問題を問われる半沢融資課課長。人脈と人事権を振りかざして半沢に責任を押し付けようとする支店長や本店の上役たちに半沢はへこむことなく立ち向かって行く。消えた融資金は取り戻せるのか?半沢にかけられた懐疑を彼は解くことができるのか。結託した上役たち、ひいては銀行という特殊な会社社会からの攻めを、自分たちのネットワークと行動でどう立ち向かうのか。これまた一気読みしてしまうほど面白かった。たぶんドラマより面白い(ドラマはいろんな面白い役者さん出てて、それは楽しそうだったが)んじゃないかな、やっぱり。

文集文庫 2007

池井戸潤 – 下町ロケット


いやあ、面白かった!ストーリーが単純というわけではないけれど、はっきりしていて読みやすかった。登場人物もだけれどやはりロケットや技術、町工場、大手重工業なんてシチュエーションも面白いわけで(自分の経験してきたこととかと重なるし)。もちろんこの「下町ロケット」が直木賞を取ったときから気になっていたのだけれど、池井戸さん面白い。文章がわかりやすくてすいすい読めてしまった。理系の話だからかな。

長年ロケットエンジンの研究を続けていた主人公佃はある国家的プロジェクトで失敗し、その責任を感じて辞めてしまう。そして父の築いた町工場を引き継いで社長業をしていた。小型のエンジンを主力製品とする工場だったが、大口契約の取引先からの取引停止や、ライバル企業からの特許侵害訴訟などあって資金繰りに窮してしまう。一方佃自身はロケットへの憧れを捨てがたく独自に研究をすすめていた。その研究の結果取得した特許が、大手重工メーカーの一大プロジェクトの根幹を為す技術であったために、佃製作所を揺るがす騒動に。大手企業と町工場の攻防が(それ以外もあるけど)面白く、そして実に現実的に描かれる。

この話ほんとに面白いなと思ったのは、僕がこの本で描かれるところの帝国重工という企業(現実にはM重工ですな)のようなとこにいたからというのが大きい。だから帝国重工側の人間の立ち振る舞いやら考え方やら組織のありかたなんてのがよくわかる、というか、そうそうそんな感じよねと思わされた。そして町工場。ぼくの父は小さな町工場をやっていた。しかも企業を退職して。この本で絵が描かれるような大きな町工場でもないし、特許をとったり何かを開発したりするようなところではなく、黙々と小さな部品(とくに自転車部品だった)を作るような工場だったけれど、働いている人がみんな家族のようで喜びもつらさも分かち合うような場所だった。描かれる佃製作所はもっと大きな工場でたくさんの人がいろんな考えをもって働いている設定になっていて、働く人たちはここは自分の職場なんだ/金をもらう手段でしかないのだとかいろんな風に思っているんだけど、危機に際すると一致団結するような感じになるあたり、ああ日本の工場だなあという(単純すぎるかもしれないけれど、実際そういうところあるし、そうあってほしい)気がした。僕が育った町の小さな個人経営の工場はみんなそんな感じだったから。

しかしこのお話、夢があっていいな。国産のロケットやジェット機などというものはある技術者たちにとっては長年の夢。それらは戦後解体され多くの技術や人を失った日本の企業が明に暗に持ちつづけてきた夢でもある。まだまだ現段階では純国産で飛ぶものというのは作りにくい(技術的なものもあるだろうけれど外交的なことも大きいだろうし)んだろうけれど、この本で描かれるようなことが現実になったら、うれしいだろうなぁ。そう、スポーツや文化もだけれど、なにか自分たちの技術と力だけで何事かを成し得る、というのは人々や国とか社会にとっても大きな力になるものだと思う。大きな、それこそ国家的なモノ作りは下手をすると談合だ癒着だ天下りだと、モノや技術者とは関係ない世界からの横やりでマイナスイメージが大きくなる感があるが、現場にいる人間たちが大きな夢あるモノを作るというのは何者にも代えがたいロマンがある。単純に「やった!」感が。そういうことを共有できれば、また違う面からこの国を誇れると思うのだけれど、今そういうのすごく希薄で寂しい。モノ作りは金にならんから、もっと安く作れる国があるから、そんなしょうもない理由で先細って行くのは悲しいことだし、生み出されるモノや技術者に失礼。もっともっといろいろできる技術と人間がこの国にはある、と思っていたい。

話が大きくそれちゃったけれど、大企業と町工場が対峙する下りはよその国とこの国の対峙に似ているかもしれない。やっぱりモノ作りは楽しいし、夢がある。この国や人々に足らないのは夢やロマンだ。

解説で村上貴史氏が池井戸さんのいろんな作品を紹介しているので、また見つけたら読もうと思う。池井戸さんおもしろい、しばらく癖になりそう。

小学館文庫 2013