菅原正二 – 聴く鏡

kukukagami

岩手は一関にある喫茶ベイシー。ジャズファンやオーディオファンなら知らない人はいないくらいの老舗。そこのマスターである菅原さんが長年季刊ステレオサウンド誌に連載しているコラムをまとめたもの。この本は1994年から2006年の分と、いくつかのコラム、そしてSESSIONS LIVE!と題して渡辺貞夫、村松友視、坂田明との対談3本を収めた作品(その続きのIIもある)。

何も知らずに読んだらただのオーディオオタクのかなり頑固なヒト、的な感じしかしなかったかもしれないけれど、実はベイシーには2度だけいったことがあり(幸いにも一度は懇意にされている方と一緒にいったので、幸運なことにいきなり’あの’テーブルに就ていろいろお話伺えたのでした)、あのお店の音の凄さ(体験しないとわからない)、菅原さんのあの感じを少し見知っているので、本を読んでいると、まるで菅原さんが目の前でいろいろしゃべっているように感じられた。あのお店にいって、あの音を聴いて、あそこでの時間を愉しんでいたら、この本に書かれていることは、まるで映像をみるかのようにいろいろ想像できるんじゃないかなと思う。

オーディオでレコードを鳴らすこと、(自分が信じる)いい音を出し続けるということ、ジャズという音楽とそれを産み出した人々を愛すること、そんな日々が(割と?)赤裸々に ー 場合によっては愚痴に見えるぐらい ー 語られる。菅原さんのあの声が聞こえてきそう。なぜここまでこだわるのか、もっとスマートにできるものをややこしくしてみたり。坂田さんとの対談でも書かれていたけど、これらは修行であって、あがきつづけることが大事で、それによって各々がしかるべきところに収まる時が来る(と信じる)、そうでないと何も面白くない(簡単に答えがわかることはつまらない)。全くもってその通りだと思うけれど、今の風潮はそうではないのかもしれない。

ああ、またあのくたびれかけたソファーにどっかと座って、あの音を浴びたい。まさに浴びるという感じ。レコードをただしく再生してやると、録音された時の空気がそのまま蘇る、と菅原さんがいうことがよくわかる。単に聴いているだけでは聞こえない、録音された音のマイクの向こうにそのときいた人たちの息遣い、衣擦れの音、体の大きさ、立っている様や座っている様、表情までが見えてくるよう。

チャンスがあれば訪れて欲しいお店だし、行ったらこの本を読んでほしい。

ステレオサウンド 2006

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江國香織 – はだかんぼうたち

hadakanbo

歯科医の妹・桃とフリーの作家のような仕事をしている姉・陽。最近ずいぶん年下の男の子・鯖崎と付き合うようになった桃はそれまでのいい恋人・石羽と別れてしまう。桃と高校時代から仲のいいヒビキこと響子、4人の子供を抱えて主婦業が忙しい。その姉妹を見守るがどこかまた違う種の女性である母・由紀、そしておおらかな夫・詠介。最近亡くなった響子の母・和枝とその恋人だった山口。。。。。

などなど、主に桃と鯖崎と中心として家族や友人、元カレや恋人やらの人間模様が淡々と描かれる。十一月に始まって、二月、五月、八月、九月、十一月、二月と一年少しあまり。断片的なシーンごとだけれど、そのなかから彼らの人間像が、関係が、息遣いが感じ取られていく。

しかしこの江國さんの文章の不思議さ。決して力強く主張してくるわけではないのに、どこか心の奥までしみこんでくる。そして解説で山本容子さんが書いているように、ひとりきりで誰にもじゃまされずにゆっくりよみたくなる。そして一ページ目を開いた時から、描ききらない描写というか、行間の大阪にその文章から目が離せなくなり、すっかり物語の住人(傍観者としてだけど)になってしまう。山本さんは「物語にとりこまれる」と書いてるけど、全くその通りだと思う。そして文章から江國さんの息遣いが聞こえて来るような気さえしてしまう。

彼女の文章を読んでいると、どこか絶対的な孤独であったり、逃れられないけれどゆるやかでいつまでたってもやってこない破滅とか、ハレの陰によりそうケのような、そういった存在を強く意識させられる。人生という時間のなかの表面的な上げ下げではなくて、ずっと静かに寄り添って横たわっている何か。運命というとロマンチックすぎるし、宿命というほど厳しくない。でも、確実に抱いているもの。それが人生に陰をおとし、立体的にしてくれているというような。

ぼくは読み取れなかったけれど、山本さんの指摘で気づいたけど、各章(二月とかね)それぞれに人物たちのシーンが描かれているけど、それが韻を踏んだようにも書かれている。静かなママのシーンの次に賑やかな母親が登場し、白いご飯を食べ終えたあとに白いスタジオが始まり、、、とまるで映像のような、文章の韻のような。そんな遊び心というか、細やかさも江國さんらしいというか。

ふわっとしてるけど、確実に自分が過去にこういう人たちにあったことがあるような錯覚を覚えるほど、濃く人間とその時間が描かれた作品だった。

角川文庫 2016

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渋谷さんと

20161222
渋谷さんと演奏していると、音楽において大事なこと、そこそも音楽とは一体何なのかということを教えられる。整理できない部分にこそ美しさがある、と言われているように思う。

故意にではなく自然にそうなるには時間と経験が不可欠だけど、何より人間そのものの音なんだよなあと強く思う。

来年も渋谷さんと何か出来たらなと思うし、清水さんとのデュオもしたいけど、単に呑むだけでもいいかなとも思う。

また会いたいなあ。

越谷オサム – 陽だまりの彼女

hidamari

かまたまがいなくなった折、「これまさにいま読んでよー」と手渡された本。題は聞いたことあったけれど、越谷さんは知らないし、女子が男子に読んで欲しい恋愛小説No.1という帯がついているので、これは女子力が試されるのか?とか思って読み始めた。

幼馴染と10年ぶりにすごい偶然で再開した浩介と真緒。中学で信じられないくらいのアホだった真緒はいまは仕事がバリバリできる大人のひと。いじめられっこだった真緒は、なぜか真緒はやたらと浩介にだけ懐いていた。自然と交際するようになった二人。でも真緒には実は秘密があった。。。

最初は甘々の、しかもちょっと文字の多い感じの最近の小説だなあとか思いながら読んでいたけれど(しかし甘々^^;)、表題の彼女である真緒ちゃんがちょっと不思議な感じがしたり、ちょっとミステリー要素あったりするので、ただの恋愛小説という感じじゃないなあと。そして後半になるとすこしずつ差し込まれる何かの予感、、、真緒のちょっと不思議な行動の数々、、、そしてラストは、、

単純にちょっとSF(?)の入った恋愛小説としても読めるけれど、いやいや、見事に伏線をいくつも張ってあって、それがすこしずつ結実していくのが見事だなあと。しかもそれが自分が好きでたまらないものである、というのが、ほんとにねえ。ああ、あれはあれのああいいうところか!なんて感心したり。越谷さんよく観察してるというか、よく知ってるなあ。

ジン、と心に沁みて、泣けちゃう感じもあるんだけれど、今の僕は泣いちゃうというより寂しさが増す感じか。でもそれは決して嫌な感じじゃない。いつかきっと(まあ今もだけど)笑って思い出すようにはなれるだろうけどね。なんなんだろうな、あいつらって。

もし本当に九生あって、まだ8回目だったなら、また現れてくれないかな。男の子だろうけど、いい友達になれたらいいな。会いたい。

2011 新潮文庫

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坂木司 – ホテルジューシー

hoteljuicy

大家族の長女に生まれて、親代わりに弟や妹の面倒を見たり、家事をしたりして育ってきたヒロちゃんは、すごくしっかりもの。何事もきちんとしていることが好き。大学の卒業旅行の費用を稼ぐために沖縄・石垣島のリゾートホテルでバイトをする日々だったが、ある日そこのオーナーに頼まれて那覇のホテルを手伝いにいくことに。それまで宿の仕事で充実していた彼女は、そのホテル・ジューシーで相当面食らうことになる。。。

昼行灯で夜中しかしゃんとしないオーナー代理(なぜかオーナーはいない)、勝手に人のものをいじったりする掃除担当の老姉妹、突然いなくなる同僚、ワケありの宿泊客などなど、ヒロちゃんは翻弄されつつも成長していく。

きちんとしていることはいいこと。でもそれが全てにおいて正しいこととは限らない。沖縄の(いささか誇張された)アバウトな感じと何事もきっちりしたい性格の間で悩むヒロちゃん。何が正しいのか、自分はどうしたらいいのか?

最初はたんなる青春ドタバタ劇っぽい内容だったり、沖縄のあの感じ(行ったことある方ならわかりますよね)がいろいろ描かれてて楽しい物語だなーとか思っていたけれど、後半に移るに従って、坂木さんが描きたかったであろう、正しいことってなんだろう?というテーマが見え隠れする。ぼくもヒロちゃんに似ているところが多分にある(もっといい加減だけど)ので、ヒロちゃんがオーナー代理に言われる言葉が心に刺さってくる。

正しくないから正したい。自分がいなければ回らないから手を出したい。主観的にはいいことだと思えても、本当はどうかわかんないし、実際物事は怒ってみないとわからないし、自分がいなくても世間はまわる。そんな単純なことをいつの間にか、一生懸命であるがために忘れてしまう。そういうことってままある。ほんと自分によくあてはまるような。

いつかまた沖縄にいけたら、もうすこしゆるりとしてみたいな、と思えた本でした。美味しそうなものいっぱい出てきたなあ。

角川文庫 2010

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Valleyツアー ありがとうございました!

20161215

9月から断片的に始まった中島教秀・武井努 feat. 清水勇博のアルバム「Valley」リリースツアー、昨夜の岐阜ISLAND CAFEをもって無事終了しました。ほんと楽しいツアーで、どこに行ってもいい演奏できたのではないかと思っています。

ぼく自身バンドは結構やっているけれど、未だにいわゆるツアーというものにあまり出たことがないので、こうやって新譜を持ってのツアーというのはすごく新鮮でした。結局都合16本、いろいろな場所へいけてとても楽しかったです。行った場所もですが、ツアーで車に一緒に乗ってあちこち寄り道したりしながら行くというのはほんと楽しいものです。

演奏は毎回変わっていき、途中で、ああ、こういう曲なのねと気づくこともあるし、その日の流行りがあったり、毎日の演奏の中で出来上がっていくものもあったり、曲の完成度や変化を楽しめたり、メンバーの意外(?)な横顔を知ったり、しょうもないことが流行ったりするのも楽しいです。土地土地にいってたべるものも楽しみでしたし。ツアーの醍醐味をいろいろ味わいました。3人が世代バラバラでしかもみんな(適度に)自分勝手だというのも上手くいった要因かもしれませんw

ツアーを組んだときは3人の都合が合うところを全部ピックアップして、日程的に無理な感じがしても、せっかくだからやってしまおうと結構無茶なスケジューリングをしたりして、実際初めていくお店ばかりだったので、組んでから「大丈夫かな」と思っていたのですが、終わってみて振り返ると、どこでも温かく迎えていただいて、しかもいろんな人に聴いていただけて、そして良くしてもらって、とてもいいツアーになったなと思っています。

清水くんが間もなくNYに発ってしまうので、しばらくこのトリオでの演奏はできませんが、彼が何かのタイミングで帰ってきた折にはぜひまたあちこちでやりたいと思っています。また何曲かまだ録音したものもありますし、ツアー中も音を録ってみているので、それらをうまく形にできたらとも思っています。

改めまして、このツアーでお世話になったお店やスタッフのみなさん、いろいろ助力いただいたみなさん、そして聴きに来てくださった沢山のみなさん、本当にありがとうございました!楽しかったし、いい経験させてもらいました。「Valley」も良くできた作品かなと思いますので、愛聴いただけると嬉しいです。

またお会いしたいです。

PS
中島さん、清水くん、おつかれさまでした!

辻仁成 – 99才まで生きたあかんぼう

99akanbou

辻さん、面白い本を書いてくれたなーと思う。ある意味絵本ぽい(絵がそうあるわけじゃないけれど)物語。1ページごとに主人公がひとつずつ歳をとっていく。0才だったあかんぼうは、10才になり、20才になり、いろんな経験を積みながらやがて99才になる。

辻さんはどこから読んでもいい、最初からでも自分の年齢からでも、というようなことを書いているけど、まさにその通りでどこから読んでもいいし、それ相応の年齢の感じが伝わってくる。人生の経験の地層みたいなものが。でもやっぱり最初から読んだ方がいろいろシンパシー感じるかも。物語ぽくもあるけれど、いつの間にか自分の人生に重ね合わせてしまう。まあ、自分とは全然ちがうのだけれど。憧れも含まれてるし。

そんなに長くもないし、簡潔に描かれているけれど、その簡潔な分じわりじわりと主人公の人生の浮き沈み、喜怒哀楽が伝わってくる。大切なこと、幸せを感じるものごと、家族、友人、もしかすると僕たちの人生に必要なものはそんなに多くないのかもしれない。どう接するかであって。どう考えるかであって。

そういう点とは別だけど、2005年に描かれたこの物語が、今の世の中の様子と微妙にリンクしていて、その未来も描いてるもんだから、ちょっと考えてしまうところもあり。どうなるんだろう世の中は、この先。それでも人は生きていくのだけれど。

人間は死ぬまであかんぼうなのかも、とは、なるほどなあ。

2008 集英社文庫

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有川浩 – 空飛ぶ広報室

soratobu

有川さんの自衛隊もの。いわゆる自衛隊三部作とは違って、今回スポットがあたるのは航空自衛隊の広報。ブルーインパルスのパイロットになるはずだった主人公が不幸な事故からその資格をなくし、配属された先が広報という設定。自衛隊の広報って?ポスターとかたまに見るけど、あれかな?というぐらいの認識しかないぼくらに、有川さんはそれを優しく紐解いてくれる。結構分厚い物語だけれど、面白くて(さすが有川さんって感じ)わーっと読んでしまった。ラブコメ要素やメカ的なものが控えめなのもよくて、その分航空自衛隊や自衛隊というものが浮き彫りになる。

主人公・空井がミーハーな室長や一癖も二癖もある先輩たちに囲まれて、そしてテレビ局からの長期取材にはいっているヒロイン(?)リカの相手役をすることにもなり、航空自衛隊の広報のなんたるかを通して、自衛隊そのものについていろいろ考えていく。その視点が同時に読者の視点とも重なっていて、読みながら、へー、ほー、と思うことがたくさん。普段メディアを通して見ていると、派手なメカとかざっくりした組織とか政治の立場からの自衛隊、みたいな側面しか触れられないけれど、有川さんにこういう風に見せてもらうと、また違った、というか、考えたことなかったもっとリアルな側面を知ることができる。

ストーリーについては読んでね、ってことだけど、この本を通して一貫して有川さんは、ぼやっとした組織としての自衛隊ではなくて、そこには人間がいて、彼らも苦悩するし、いざとなると一番先頭に出て行くのは彼ら、人間そのものなのだ、ということを理解するべきだ、と言い続けてるように思う。

実は2011年の出版予定だったそうだけれど、折しも東日本の震災があり、宮城の松島基地が被災したこともあって、その物語も加えてからの出版となり、その追加された「あの日の松島」というエピソードもはいっている。被災後の松島ー東松島ー石巻あたりの海岸線を走ったことがあるだけに、そこにある基地がどういう被害をうけたのかが想像できて、怖くもなり、かなしくもなり、自衛隊の意義、立場、難しさを有川さんのこのエピソードで初めて知る。例えば被災地のガレキ片付けひとつとっても、テレビとかで見てる側はなんとも思わないけど、彼らは私有地には入ってはいけないというルールがあるそう。するとやれることにも制限ができる。やれる力はあって目の前にあるのにそれを行使できないという場面もあり、忸怩たる思いをすることもあるそう。

なんでも肯定・否定というわけじゃないけれど、何も知らないであれこれいうのは間違っているなと思うし、自衛隊という大きな組織で十把一絡げに考えるのじゃなく、そこにいるのは人間であり、彼らは相当な覚悟を持ってそこにいるのだということを、もっと感じて考える必要があると思わされた。

この本そのものがすごくいい広報になってるかもだなー。

2016 幻冬舎文庫

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黒毛の君

kamacoming

 

いま隣りで静かに眠る君へ

だれもいなくなった部屋に手のひらにのってやってきた君

真っ黒で、しっぽが途中でくにっと折れてた
ふわふわでやわらかくて、あったかくて
なでられるのは大好きだけど
しっぽを触られるのはすごくキライだった

おくびょうで、でも好奇心旺盛で、
すごくちいさくて、どこへでも紛れ込んでしまえた
にんぎょうとならぶと区別がつかなかった
どこにいったかわからなくなって何度探したことか

跳ねて、飛んで、いたずらしほうだい
しょうじは穴だらけ、ふすまもびりびり
マーキングもあちこちに
こむぎこまみれでまっしろにもなってた

 

やがてそれはそれはおおきくなって
りっぱなひげに、まんまるおめめ
毛並みはつやつや、つるつるしてて
でも、あいかわらずおくびょう
なにかあるとすぐに押入れに引っ込んでしまう
そのころから押入れがお気に入りだった

ひっこししたとき
どんどん荷物がなくなっていくことに怯えて
押入れからでてこなくなったことがあった
ひっぱりだしてみると
10円ハゲができてた

ひっこした先でも
まる3日テレビのうらから出てこなかった

玄関を開けてても
敷居の先へなかなかふみださない
ものおとがすると、一目散に部屋へダッシュ

だれかが君に会いに来ても
押入れにひっこんで
くらやみにまぎれてしまって
みんな口を揃えて「ほんとうにいるの?」と訊いた

 

そんなおくびょうな君が
いちどだけ、家出をしたことがあった

それはきっと家出のつもりなんかじゃなかったんだとおもう
あいている扉の隙間から
君はちょっとした冒険心とものすごい勇気をもって廊下へ出てみた
でもそのときにとなりのひとが顔を出したんだろう

あわてた君は
中へ逃げ込むのもわすれて一目散に廊下をはしった
気づくといったい自分がどこにいるのかわからない
そとは大きな音がするし
しらないひとがうろうろする
うろたえた君はどこか安全な場所をさがして消えてしまった

君の姿が見えないのに気づいてあわてて探しに出たけれど
君の姿はどこにもない
たてもののまわり
そのへんの垣根や車の下
近所のお庭や畑のすみっこ
となりのようちえん

もしかして、万が一
そんなことも頭をかすめたけど
しんじてあちこち探した

探し疲れてかえってきて
だれもいない部屋にはいったときの
あの、がらん、としたかんじ
君がいないだけでこんなにちがうものなの
空気がとまっているようだった

永遠ともおもえる2日間がすぎたとき
ぐうぜん、階下のよそのおうちのベランダの
プランターのかげでちぢこまる君を見つけた
がさがさにきたなくなってしまって
まるでよその子のように震えて
こわい思いをしたんだろう

それからの君はさらに用心深くなって
扉をあけても僕がそとにいないと
敷居をまたがなくなった

 

かすみそう
あじつけのり
かっぱえびせん
かつおぶし
またたび
シャワーから出るお湯

かさこそいうビニールシート
段ボール箱
きいろいライオンのゆびにんぎょう
くびのしたを掻いてもらうこと

そして何より雑誌の隙間からちょろちょろ出し入れするえんぴつが大好きだった

 

クラリネット
みかんの皮
ダイエットフード

かおの斜め上に手をかざすこと
掃除機
洗われること
抱かれること
ひなたぼっこ(黒いから?)

そして爪切りがにがてだった

 

ちいさいころ、わるいことをして
はらたちまぎれに投げ飛ばしても、すたっ、とたったりしてた
憎らしいやら可愛いやら

おおきくなってからは背中を、ばん、とたたいても
どこふく風のように平気なかおしてた

いつのころからか、電話をしているとよこから
「ねえねえ、どこのどいつとしゃべってんの?ねえねえ」と
きいてくるようになった
ふだんは呼んでも返事すらしないくせに
受話器をむけると「だれ?なに?」としゃべるようになった

なんにちか家をあけることがあって
心配してかえってきても
「あら。いたの?ふうん」
というくらい愛想のなさはずっと変わらなかった

でも寒くなるとふとんのうえにやってきて
足のあいだか、よこか、どこか掛け布団のうえで寝るもんだから
ぼくは寝返りうてなくて、けっこう困らされた

そのくせ君はそんなときにかぎって
すうすう気持ちよさそうに寝入ったり
ちいさくいびきをかいたり
あまつさえ寝言まで言ったりしてた

 

そうそう、そういえば君はじぶんの名前以外に
3つだけわかる言葉があったよね
「ウィ〜ンすんでー(掃除機をかける)」「おふとんあげるでー」
こう言うとどこにいてもそそくさと押入れへ

そして

「ごはんやでー」
こう言うとそそくさと押入れからでてきたもんだ

 

やがて首の周りとかに白い毛がちらほらしてきたころ
あたらしく白い仔がやってきた

ずっとひとりでいろいろのびのびやってきたのに
やってきた闖入者はやたらとはしりまわるし、うるさいし
自分にもましてわがまましほうだい

生まれつき遠慮がちな君は
すごくうっとおしくて
結局この仔とはあまり仲良くなれなかった

ぼくのわがままからつれてきたこの白い仔が
結局君にすごくいやな思いをさせてしまったのかもしれない
そして結果的に君からたくさんの時間を奪ってしまったのかもしれない
それをかんがえると
ほんとうにほんとうにすまない気持ちになる

 

ぼくたちでいう80さいぐらいになるころから
きゅうに君はげんきがなくなってきた
もしかしたらびょうきだったのかもしれない
それでも君はなにもいわずにたんたんと暮らしていた

すこしずつすこしずつ
うごきがおそくなって、ごはんもあんまりたべなくなって
なにをするのもしんどそう
おおきくこきゅうしていた

それでも白い仔につっかかられると
ぎゃーぎゃーいって歯向かっていた

そんなになっても、たまに君はあまえてやってきて
やれなでろ
やれ膝にのせろ
やれごはんだ
やれみずをいれろ
やれほっといてくれ
というのだった

 

そしてきのう

さいきんお気に入りのばしょ
ソファーと壁の間に、ちん、としていた君に
じゃあ、いってくるね、またねと言って
目やにをふいて、ちょちょっとなでてあげたら
すこしだけごろごろといってくれたのが
ぼくがみた君のさいごの凛々しい姿になった

 

くるしかったのかもしれない
もうだめだとかんじたのかもしれない

プライドの高い君はさいごに
さよならのマーキングをして
じぶんの居場所
押入れの奥まで這っていって
しずかによこになった
まるでぶざまな姿をみせたくないとでもいうように

 

もっともっともっとはなしたかった
もっともっともっとなでてあげたかった
もっともっともっともっともっと
いっしょにいたかった

 

どうしてぼくたちはことばをかわせないんだろう
はなせたなら、君がなにをおもってるのかいっぱいきけたのに

でも
君とは
はなせなくても
おたがいせなかむきになってても
ずっとつながっていた気がする

そうおもってる

 

じぶんのかぞくのつぎに
いちばんながくいっしょにくらした
かまたま

へんな名前つけちゃったけど
きにいってくれてたらうれしい
君がいたからぼくはさみしくなかったし
君がいたからいまのぼくがいる

感謝しています

ありがと、かま
またね。

 

kamaandtake

かまたま
2000.4.4 – 2016.11.15

 

2016.11.16

高橋克彦 – 写楽殺人事件

sharaku

いまだもって謎が多いといわれる写楽。ある浮世絵研究の組織にいる主人公・津田。ある古書市で入手した図覧に不思議な絵をみつける。それは写楽が近松昌栄と名を変えて描いたとされる作品だった。

そこから津田は調査を始める。青森や秋田、彼の痕跡をつぶさにさがす。そうしてある結論にたどりついた。それは大きな歴史の中で様々な権力に翻弄された人物の姿だった。それを研究室に持ち帰ると、教授が発表することに。渋る津田だったが、でもそのほうがより世間に認めらるということで引き下がったのだったが、、、相次いで教授もその他の写楽研究の第一人者といわれる人物が謎の死を遂げる。。。

あまり浮世絵のことはしらないけれど、これを読むといろいろ興味が湧いてくる。昔のものや芸に興味をもつタイミングなのかもしれない。ミステリー作品としてすごくよくできているなともおもうけど、それより歴史を紐解いていくあたりがとても面白かった。江戸時代ごろの世間の様子。そこに生きていいた人たちの楽しみであった浮世絵たちがどういうふうに生み出され、楽しまれていたのか。その陰で絵師たちがどう生きていたのか。そんな部分にとても魅力を感じた。

第29回江戸川乱歩賞受賞作品

講談社文庫 1984

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