打海文三 – ぼくが愛したゴウスト

gousuto

初めましての打海さん。全然今まで知らなかった作家さんだったけれど、伊坂さんが好きな作家さんにあげてたのと、前に読んだ「3652」というエッセイの中でこの本を取り上げていたこともあり、手に取ってみた。

主人公は臆病で真面目な11歳の翔太。夏休みのある日ひとりでいったアイドルのコンサートの帰り道、駅での人身事故に身近に遭遇した時から世界に違和感を感じるようになる。両親が、姉が、そしてまわりの人々が「臭い」。どこか笑顔がぎこちない感じがする。。。。そんな中、その事故のときに翔太に声をかけて来てた謎の男が現れ言った「俺たちは迷い込んだらしい」。

どうやら元の世界と隣接している並行世界に何かの拍子に移動してしまったらしい、といっても何の確証もない。わかるのはその男ヤマ健と翔太の感覚だけ。家族に相談するが理解されず、逆にいぶかしげられた翔太は国から追われる立場に。そういった迷い込んだ人物は自分たちだけではなく、昔から少しずついたらしい。。。。彼らは元の世界に戻れるのか?翔太の成長と旅立ちの物語。

実際SFサスペンスぽい側面が大きくて、いったいこの先どうなるんだろう?とワクワクしながら読み進むのだけれど、この物語の大きなテーマはそういうSFという部分じゃなくて、人間ってなんだろう?コミュニケーションって何だろう?という部分だと思う。翔太が迷い込んだらしい世界(これについても結局確証は得られない)にいる人々は、元の世界の人々とそっくりで、翔太の両親も姉も友達もいて、世界自体も全く同じ。違う点は匂い(それはし進化の途中で分かれた分泌物の違いによるものじゃないかと推測)、そして本人たちも認識している「心がない」ということ。

「心がない」、でも言葉と態度でコミュニケーションはできる。何かに対して感情的なアクションもある。「心がある」とは自分に何か起こったときにそれにリアクションをする自分を見つめる自分がいること(、、、らしい)。行動の元になる感情を感じる自分が自分の中にいるということ。迷い込んだ世界の住人たちは同じリアクションしたとしても、それはそうすべきだからであり、単なる反応であるらしい。でもそれはそれで世界は成り立っているし、恋愛はあるし、喧嘩もある。その世界の研究者はこういう意味のことを言う「世界はすべて演技。そういう反応をしたほうがいいから、そういう反応をするのだ。そこに心はない」

じゃあ、心ってなに? 実際、有機物の活動(人間も動物も植物もみんなそうだ)から「心」という概念が発生することを証明したものはいない。なのに、僕たちは「心」というものの存在を感じている、または、信じている。翔太とそれを取り巻く世界の物語を通して、心って何だろう?ぼくたちが生きていってるなかで感じる感情ってなんなのだろう?という問いをされる作品である気がする。

まったくうまく感想をかけない、、、伊坂さんの解説がとても分かり良くていい。とにかく物語としてはとても面白く、翔太の成長もうれしく、、、でもすべてが安心、丸く収まるわけじゃないけれど、なにか希望がもてる物語だった。打海さんの作品ほかも読もう。でも打海さんは2007年に急死してしまっている。

2008 中公文庫

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