TOKYO2020

一年間の延期があって、今日2021/7/23に東京オリンピックが始まる。

東京へのオリンピック招致が決まった2013年、まだまだ東日本の震災の爪痕が深く残り、その先行きもはっきりしていない中でのお祭り騒ぎは受け入れがたさを感じた。実際招致が決まった後に競技施設などの建設工事等に人材や資材が向かうようになって、東北地方の復興工事はだいぶ遅れたと聞く。福島第一原発まわりは進捗が難しいとしても、岩手の三陸海岸から宮城・福島に亘る海岸の護岸工事(これもいいのか悪いのかという話もあるけど)や土地の造成工事も10年経った今もまだ途上なのを、今年3月の震災の日に目の当たりにした。東日本の震災の後も熊本の震災や、相次ぐ大雨災害などでいまだに生活が元に戻らない人たちがたくさんいる。そういったところへのケアがオリンピックという大事業の前には後回しにされている感が否めないのは穿った見方なのかな。

1984年のロス五輪は子供心にもすごく素敵な世紀のイベントに感じられた。スポーツはさほどしないけれど選手たちの見事な競技を見るのは好きだし、応援もしたい。オリンピックはスポーツイベントの中でも最高峰というイメージだった。でも今は経済効果を第一に狙うイベントというものになっているように見える。今回の招致は斜陽感がある日本の経済を持ち直させる起爆剤にしたいという思惑もあったと思う。長期的な展望で、今回のオリンピックが成功すればその思惑通りになったかもしれない。けれど”コンパクトな大会”とか”低コストで”という謳い文句は空回りして予算は嵩み(もともとそのつもりだったのか?)、そして新型コロナの感染拡大に伴って運営は難しく、収入は大幅に減る見通し。今日以降に大会もどうなっていくかわからない。

オリンピックというイベントそのもののやり方がもう無理なんじゃないかとも思う。詳しいわけじゃないけれど。世界の経済状態もよく、うまく回っているときはよかったかもしれないけれど、今回のように不測の事態が重なるときにはアラがでる。IOCは単に名義貸しをして金儲けをしている団体にしか見えない。オリンピックが”スポーツを通して世界の交流や平和をめざす”という崇高な目的を掲げるのなら、どこかの国がIOCから名義を借りて(招致して)開催するってのはやめて、IOC自らがその場を用意し、各国へ選手の派遣を要請し、それらの費用は寄付で賄うようにするのがいいんじゃないかと思う。そして観戦も放映も無料、スポンサーもなし。なんせこの暑い日本の夏に開催するのは米国での放映権のためというバカバカしいお金ファーストなやり方しかできないのは間違っていると思う。オリンピックが始まったころの理念はよかったのだろうけれど、長く続くうちに”IOCという組織のためのイベント”というものになっていないだろうか?

参加する選手の方々も、現場で運営をしている人々も、この暑い中みなさん頑張っていると思う。今回の結果がどうであれ、僕が生きているうちにこの国でオリンピックが開催されることはもうないかもしれないとも思う。なので素直に応援したいし、楽しみたいと思うのに、残念ながらできない。とてもとても複雑な気分で、どう考えたらよいのかもわからないし、何も腑に落ちない。本来喜ばしい気分でありたいのに、とても残念です。

せめて安全に、選手のみなさんが精一杯競技をできることを祈ります。

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