川上弘美 – センセイの鞄


川上さんの作品は「神様」の”くまにさそわれて散歩に出る”という衝撃的な書き出しに出会って以来ファンと言うかちょっと虜になってしまっていて、いくつか作品を読んでいるけれど、どうもちょっとお話が怖かったり、うまくトーンが合わなかったりするときもある。その彼女の独特のペースというか、作品の中に沈んで行く感じが、あまりにも深かったり、淀んだりするとちょっと恐ろしい気がすることもあったりして、なかなかいろんな作品をつぎつぎ手に取ってという感じにはいかない。

でも、この「センセイの鞄」、”センセイ”とカタカナであるところに惹かれて手に取った。で、もしかしたら今まで読んだ中で一番好きな作品かも。ことばづかいも作品のなかの時間の流れも、まぶしくない感じも、そして終わり方も、どれも素敵。ある意味普通なのかもしれないけれど、それでもほんのちょっとしたことの積み重ねでできている文章が、淡く、儚げで、どこかにありそうでどこにもなくて、明日のことのようでずっと昔のことのようで。彼女が綴る物語のすこし次元のずれた世界にとっぷりひたれる感じが心地よかった。

へんてこりんな恋愛の話かもしれないけれど、いいなぁ。お酒を燗で呑みたくなる。

文集文庫 2004

田中啓文 – 茶坊主漫遊記


田中さんのまた歴史物っぽい本。この間読んだのは忠臣蔵だったから今度はなにかなーと思ってたら、謎の僧侶二人づれ、それにもう一人おどけた人物が加わった3人の珍道中、、、というと弥次喜多とかそれこそ水戸黄門みたいだけれど、そんな感じではなくて、”もしかして実はこんな史実だったら・・・”という、そういう意味では忠臣蔵のやつに近いのかも。今回もキャラがたった人たちばかりで楽しい。

それにしてもばらばらには知ってるけれど、(どうも歴史と言うのが勉強の対象としては面白いと思えなかったのでぜんぜん知らないだけだけれど)関ヶ原とか天草の乱とか、柳生十兵衛とか宮本武蔵とかが同時代ということは全然しらなかった。これらをうまーくひとつにまとめて話が進むので面白い。で、その結局のところの怪しげな僧侶がだれだったのか、というのは伏せておくけれど、いまの感覚ではわからないけれど、当時なんてちゃんと顔を会わしたことがない人同士が戦ったりしていたわけで、いざ捕まえてから本人かどうかなんて実はわからなかったことが多かったんじゃないかと思う(このあたりは忠臣蔵も同じネタつかってましたが)。息子や娘もはやくに養子や嫁にだしてしまったり、だれがだれのどの子でーとかなんかわかんなくなったりもするだろうし、ましてや顔を知ってて本人だとなんかわかりようもない、ってことが数多あったのではないかと。

そんなある意味のんびりしていた時代の感じを味わわせてくれたりもするし、ちょっと頓知の利いた謎解きもあって(これがおおい)すっと読める作品だった。隠居しないでまたどっかに旅にでてほしいなぁ、治部さま。

集英社文庫 2012

浅田次郎 – 月のしずく

相変わらず浅田さんの物語は暖かさに包まれている。そしてちょっぴり切ない。大人の男のやるせない気持ちがにじみ出ている。そんな物語だけれど文章がドラマチックなわけでもなく、平滑な簡単な言葉で淡々とつづられていく。そのおかげで主人公達の気持ちがひたひたと心にはいりこんでくる。

表題作でもあるコンビナートで荷役をしつづけ30年以上という男がある月夜の晩に偶然出会った若い女との数夜を描いた「月のしずく」がとてもいい。やっぱり年をくうとこういう物語が沁みてしかたない。聖夜に今でも愛してやまない昔の恋人に出あう「聖夜の肖像」、抗争で追われる身となった男を匿う役目をおった若い男女「銀色の雨」、幼少時代を過ごした土地を探す/辛い男女の物語「琉璃想」、残念な理由で飲み過ぎて電車を乗り過ごしてしまった男女の一夜「花や今宵」、まじめ一本だった男がブラジル行きを目指す「ふくちゃんのジャックナイフ」、自分を捨てた母に会いにイタリアへゆく「ピエタ」。いまさっと読み返してみてもどれもいい話。ほんと、いい話だな、と思える。

じんわり味わえる本はいい。

文集文庫 2000

伊坂幸太郎 – モダンタイムス

 

最初に手に取った伊坂さんの本は「ゴールデンスランバー」だった(同名のThe Beatlesの曲が好きだから)のだけれど、このモダンタイムスは同時期に書かれた作品だそう。彼の作品は最初のものから順番に読んだほうがいいのだということに気づいて順番に読んできて、ついにここまできた。

なんでも実行してしまうし気まぐれだし突飛な洞察力がある恐ろしい妻を持つ主人公渡辺。彼はシステムエンジニアなのだが、ある日優秀な先輩社員・五反田の失踪が元で請け負った仕事が首を突っ込めば突っ込むほどよくわからないシステムの改修であり、やがてその秘密に気づき、その真相に近づこうとする。するとそれと同期するかのようにまわりの関係者になにがしかの害が及ぶ。一体どういうことなのか?

相変わらず良く練られたプロットですぐには話の全体像が見えないし、いつまでたってももやもやした部分があったり、謎掛けのような感じであったり、伊坂さんの本はほんと飽きない。途上人物はそんな多くないけれど誰もがちゃんと意味ある存在(しかもそれらが複雑に絡んでたりして)あって面白い。でもその中では主人公の妻が異色な感じ。ストーリーには直接関係ないのにいろいろ関わってくる感じがなんか新しいパターンのような気がする。一番のキーマンは気まぐれでつけたのにしては面白すぎる名前の友人の作家「井坂好太郎」。彼が作中で書く作品にこの「モダンタイムス」自体の意味が投影されているような感じ。

一貫してテーマは、本当のことは隠されている、知るために行動するには勇気がいる、ということのように読める。そして個人と国家の関係。国家というような大きなシステムの前に個人ができること/なすべきことは何なのか?。インターネットがツールとして頻繁にでてくるが、今現在でも思うのだけれど、無限に広がるネットの世界、検索すればどんな情報でも入手できそうな気がするけれど、それは錯覚だ。ネットに載っている情報はいい情報も悪いものでもすべて「誰かが載せたくて載せている」情報だけ。すべての情報があるわけでは当然ないのにみんなそう思い込まされている。圧倒的な情報量とスピードで考える余地を与えない。目の前で起こったことより「ネットに記載されているウワサ」のほうが真実味を感じさせてしまうこの感覚の逆転。本当のことはどこにも記載されていないかもしれないということすら分からない。すごく危険な状態にはいりつつあると思う。

また時代設定も魔王・砂漠の少し先。徴兵制が敷かれていたりして、だいぶ国の様相が変わっている。伊坂さんは近未来は決して明るい方向に向かっているわけではないと、暗に提示しているような気がする。そのとおりの気がするのが怖い。

講談社文庫 2011

 

 

三浦しをん – きみはポラリス


三浦さんの本はひさしぶり、というかそんなに読んでない。少し変わった恋愛の短編集。変わった、というのは、いわゆる通常の(?)男女の恋愛の物語ではなくて、成就しないであろう関係の恋愛(片思い?)ばかりの物語。同性、ペットと飼い主、母と子、ロハスにハマるへんてこなカップルなどなど、普通は友情やらなんやらで結ばれるであろうふたりの片方がもう片方に淡く切ない恋の感情を抱いてしまう。。。。なさそうだけれど、あるのかも。こう書いている自分もわからないではない、と思えてしまうところが少し危ういが。

恋の形はいろいろあっていいけれど、それはあるとき突然やってきて「あ、これは恋だな」と思える時がある。そういう時間や空気のそっとした部分をうまく描いた作品ばかりで、しっとりというか、ひっそりというか、そんな感情をもって読める物語が11編。どれもいいな。特に好きなのは「森を歩く」かな。

新潮文庫 2011

辻仁成 – 代筆屋


辻さんの本の中では、ちょっと違う感じのものかも。作家をめざす主人公がそれでは食えないためにやむなく始めた(人の人生を覗き見るという勉強になるとも考えた)手紙の代筆屋 – いまとなってはあまり日常的ではなくなった手紙というもの – で手がけた文章をいくつか紹介する、という形をとったエッセイのような短編集。短編集といっても全部同じ主人公/設定だけれど。

若者たちのラブレターもあれば、人生の終わりに夫に文句を言いたくなった老婆、家族への遺言という名の甘え、長く秘めていた恋心、などなど、代筆という形をとってその人のなりやその人の人生そのものも透かし見る。何かを文章にするということは、そのとき考えていることだけでなく、その陰に潜む思い、長い時間、人との関係などを掬いとることとほぼ同じこと。(この物語上で)文章で描かれる背景がなくとも、手紙だけでもその人の境遇や思いがありありと出せる。手紙というのはすごいメディア。簡易で迅速でないからこそ成り立つものなのかも。そしてその人のためだけにその人に向けて書かれる手書きの文字の数々。何かを伝えるのにはとても素敵なもの。

たしかにもう手紙は書かなくなってしまった。昔は書いていたこともあった。でもいまは面倒になって、というか必要に駆られないというか。でもちょっとしたものに手書きで付けてみたりすると無味乾燥なワープロ文とは違う暖かみがあるような気がするのも確かで、肝心なときには手書きの文章を添えたりする。でも書いてみたものの文章や字そのものが気に入らなかったりして、何度も書き直したり。でもそれが結局は文章を推敲したりする時間にもなり、拙くとも相手になんとか何かを伝えようとする見えないものが乗っかって、手書きならではのものになるんではないかとおもう。

たんに事実を伝えたり、用件を理路整然と伝えるだけでなく、面と向かえない相手に何か気持ちを伝えるのにはやはり手紙。もらったときもすごくうれしい。字から感じられるものって多い気がするしね。

素敵だった。

幻冬舎文庫 2008

武満徹対談選 (小沼純一 選)

たぶん世界で一番しられている日本人作曲家(現代音楽作曲家)で、日本では知名度の低い武満徹氏の対談集。ある人がある人に勧めていたのを見て、これは読んでみたいと思って自分でも入手してみた本。武満さんの対談集はいくつも出版されているそうだが、そこから小沼氏が選んで集めた選集。

いくつもの対談やテレビの収録(!)から選び集めた対談がぜんぶで13編。黒柳徹子さんから、名だたる音楽家、伝統芸能の担い手、音楽以外の芸術家の方々などなど、錚々たる面々との対談は、武満徹という人物像や彼の音楽の匂いや形をみせてくれるだけでなく、彼の考え方、思っていること、音楽や社会のあるべき姿(対談当時の、ということは鑑みる必要あるけれど)をいろいろ教えてくれる。もう読んでしばらく経ったので内容をちゃんと憶えてはないけれど、すごく考えさせられる言葉が多かった。何より、70年代にすでに現代社会のある側面 – 物理的距離は障害ではなくなりネットワークによって情報の拡散/共有が盛んになり、グローバル化がすすむ。日本の音楽はある閉ざされた範囲の中で洗練されて進化してきたが、もっとグローバル化が必要なのではないか、などなど。すごく面白い。

特にいいなと思ったのは、デザイナーの杉浦康平氏との世界の音楽の話、琵琶師の辻靖剛氏との対談、そして谷川俊太郎(彼については作品以外しらないけれど、自分のこと「オレ」っていうのは意外だった)とのことばについての話、寺山修司とのジャズについての対談。まぁ13編どれも面白いのだけれど、とくにこれらが面白かった。知らないこともそうだけれど、見知っていることへの違う切り口というのを提示してくれるのがいいのかも。

武満さんがどういう風にして音楽家になったのかも知らなかったし、彼の作品も実はぜんぜん知らない。けれどもこの対談を読んでとても作品に触れたくなった。日本人というアイデンティティをもちつつ西洋音楽をやるというある種アウェイな矛盾したところ、対談で予期していたところの現代社会のグローバル化の嵐のなかでの日本文化の価値、位置づけ、ありようなどなど、漠然と考えていることをこんなにも昔にもっともっと突き詰めて悩んで考えていた人がいたということだけで、驚きと畏怖の念を抱かざるを得ず、また自分の至らなさを思い知る、そんな本だった。なので出会えてうれしい。

ちくま学芸文庫 2008

田中啓文 – チュウは忠臣蔵のチュウ


田中さんの時代小説(?)。ある人から「あれはオモロいぞ」と薦められて読んだ。忠臣蔵自体ぼやっとしかしらないので、あとがきで書かれているようにぼくらが何となく認識してる忠臣蔵(浅野内匠頭の吉良上野介に対する刃傷事件ー>浅野内匠頭の切腹ー>浅野家家臣 赤穂藩の大石内蔵助による討ち入り&吉良成敗)というのは骨子はそのままでも史実とは実はだいぶ違っていて、それはどうやら江戸〜明治時代に流行った講釈(講談)の影響がおおきいそう。赤穂義士たちの各々の物語なんてきっとあとから付け足されたものだし、討ち入りに関しても実際どうだったのかは実はわからないそう。それほど歴史的記録が残っていない。でもあの時代にあの事件はものすごく話題なったはずで、歌舞伎になり、講談になりで、物語はすごく広がったんだそう。

で、このお話、その史実が実際どうだったかというところを逆手にとって(?)あらたな展開を持ち込んでいるのがおもしろい。上述のような背景があることを知らずに読み出したので「また田中さんめちゃくちゃな話作り出したな」とほくそ笑んだのだけれど、これがウソだったかどうかなんて誰も分からない訳で(笑)。なんせ内匠頭は切腹を免れているし、さらに吉良は討ち取られてないし(これ以上かいたらネタばれになるな)、その陰にはあんな人やらこんな人が暗躍して、、、いやいや立派な時代活劇です。

田中さんの本にしては(?)わりとふつーの創作っぽい感じで、めちゃくちゃな無理矢理感も、脳天につきささってくるようなギャグもないのだけれど、逆に普通に楽しく読めた。いつぞや読んだ宮部さんの赤穂浪士ものといい、この辺りの話っておもしろいなぁ。

文藝春秋 2011

有川浩 – 別冊 図書館戦争Ⅱ


図書館戦争シリーズの6冊目で、別冊の2巻目。これが図書館戦争シリーズ最終巻となる。本編とは違うお話だけれど。今回は主人公の郁と堂上から離れて脇役たちにスポットがあたる。そんなに長いシリーズではないけれど、魅力的なひとたちが沢山出てくるから、彼等がどんな背景もったりしてるのかはとても興味のわくところ。

フィーチャーされるのは副隊長であり実は特異な過去をもつ緒方、まだ入隊当時の堂上と小牧の若かりし姿、そしていったん盛り上がりかけたのにその場はあっさり収まってしまい一番どうなるか気になってた小塚と柴崎の恋の行方。それぞれにまた違うエピソードが描かれて本編を知らなくてもきっと楽しめる。相変わらず小塚と柴崎に関してはあまあまで辟易としてしまうけれどw でも恋する姿というのはいつでも憧れちゃうものやなぁと。

おまけはDVD最終巻に寄稿された「ウェイティング・ハピネス」。久々に稲嶺・元司令がでてきて楽しい。

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あとがきの対談で有川さんがとても大事なことしゃべってる。”萎縮しないことこそが、義務!”と。神戸の大震災のときもそうだったし、記憶に新しい2011年の東日本大震災のときもそうだったように、どうもぼくたちは国内で有事あると自粛してしまう傾向にある。もちろんそれが必要な時もあるけれど、そればかりじゃないのは確か。有川さんが発言されているように、よその地で経済活動を自粛されたって被災地はなにも救われない、ということ。簡単なことなのに気づかない、というか、自粛しないということが不謹慎であるという雰囲気が蔓延するのは本当によくないとおもう。音楽だってそうだけれど、こういう本のようなエンターテインメントというのはどうしても有事の際は悪者/邪魔者扱いされてしまう(思われてしまう)風潮がある。でも誰しもそんな自粛やら謹慎モードなんて長続きできないし、いつか破綻してしまうから、そういうものは必要なはずなのに、どうしても自粛ムードに踊らされてしまう。それって危ないよなあ。萎縮して閉じちゃうと経済はますます悪くなるし、そういう視点で「萎縮しないことこそが、義務!」というのは常に心に留め置かねばならないことかな、と思った。

2011 角川文庫

有川浩 – 別冊 図書館戦争Ⅰ


有川さんの「図書館戦争」シリーズの5冊目。本編は4冊で話は終わっているのだけれど、これは別冊シリーズということで、本編では描かれなかった主人公達のその後の姿とか、脇役達に焦点をあてた短編などなど。この別冊Ⅰでは主人公・郁と堂上のその後の恋の物語ばかり。あまりにも甘すぎて笑ってしまうほどw。本編のラストでは2人の結婚後のことがちょろっと描かれたりしているけれど、そのちょうど間を埋めた感じかな。

とにかく似た者同士でとんと恋愛には疎い2人が恋に落ちてからどう近づいて行ったか、そんな話を有川さんは臆面もなく赤裸々に描く。あまりにもストレートなので(でもあいかわらず2人はどじくさい)読んでて恥ずかしいぐらいだけれど、微笑ましくもあり、本編で勇敢に戦った2人のもっと違う面がみられて楽しい。たぶん描いている有川さんがいちばん楽しいのでは?

有川さんもあとがきで書いているけれど、本編とはぜーーんぜん違う話(ともすればタッチも違う、まるで少女小説のような)なので、本編のつづきと思ってしまうと「え?」となる可能性ありだけれど、普通に別のお話と思って読めたら楽しいかも。もちろん本編知ってる方がなお面白いけれど。

おまけとしてDVDに寄稿された「マイ・レイディ」も収録。

2011 角川文庫