乃南アサ – 暗鬼

愛されて望まれて幸せ一杯の結婚をした主人公法子。最初は旧家の大家族の中にうまく溶け込めるか心配であったのだが、あまりにも穏やかで仲のいいその家族に好感を持ち、自分もその輪の中に早く溶け込みたいと真に願う。が、何かがおかしい。実際はそうではなく恐ろしい場所なのではないか、と、疑心暗鬼になりそうになるが、それでもいやいや違うと心を改め再び家族になろうと努力していく・・・が・・・。

ここでは家族を題材にしてるけれど、何かの小さな団体、集団なんかにも同じようなことがあるはず。それらにはそれらの中ではごく普通だけれど、外から見ると異常/異様なことがなにかしら存在する。家の中ならちょっとした食事の習慣やら生活の習慣なんかがそれにあたる。でもそれがとてつもなく異常なものであった場合、はたしてそれを拒絶するべきなのか、それとも受容してその輪の中にはいるべきなのか。後者を選べたならそれは幸せといえるのかもしれない。

ここで描かれている家族はかなり異様だ。のろわれているのかもしれない。けれども彼らは彼らの論理で真剣に生き、社会との接点も正しく持ち、貢献もしている。しかし一般社会常識からはかなり逸脱したシステムをもつ。実際気色悪いと思えてしまうのだが、その中に入り込めれば/溶け込めれば、幸せと思えるのだろう。

文春文庫 2001

乃南アサ – 死んでも忘れない

タイトルが怖い。どんなことを「死んでも忘れない」のか。なので内容も怖いのかなと読み出し始めると、これまた不幸な事柄が絶妙のタイミングで連鎖し、個人の力ではどうしようもない、取り返しのつかないどん底へ落ち込んでいく家族が描かれる。実際こうなりうるようなリアルな設定が、読者を物語に引き込む力をさらに与えているよう。

痴漢の冤罪、いま注目されているもののひとつ。男にとってこれは実際恐ろしいもの。社会における自分を守るため、家庭や家族を守るため、誰しもこの男のような判断をするに違いない。でも、その間違ってはいないはずのやさしさが、時に家族の、人との溝を生み、それがあっという間に取り戻せない深さになってしまう。怖い。

家族の間で、人との関係のなかで、やさしさや、立場、タイミング、いろんな要素が刻々と変わっていくなか、ちょっとしたずれが生み出す不幸の連続。言葉の足りなさが生む誤解、やさしさゆえに口をつぐむことにより生じる誤解、言葉にできずに生じる誤解。人のうわさの恐ろしさ。どこにでもあることが何を生み出してしまうかわからないこの世。こわい。

「死んでも忘れない」この意味は物語を読む人にのみ明かされる。

新潮文庫 1999

川上弘美 – 神様


「くまにさそわれて散歩にでる。」

という書き出しでもうノックアウト。名著には印象的な書き出しで始まる物語が多いというけれど、これほど非現実的なのにとてもロマンチック/メルヘンに満ちた書き出しもなかなかないなーと。また、「くま」とひらがなで表記するあたりもとても素敵。この書き出しがダメなひとはたぶん最後まで読んでも「?」て感じかもしれない。あとがきで書かれているように、この本に収められている物語たちは、川上さんの夢/空想/無意識のお話なんだろう。

収められた9つの短編は、主人公(なんだろな)わたしのある春先から次の春先までにおこる小さな出来事たちを記したもの。どのお話にもなにか不思議な人や生物が登場する。くま、なにか白い毛のはえたもの、亡くなった叔父、カッパ、壷に住んでる女の子、などなど。どれも捉えどころのない霞のような感じ。でも確かにそこに存在するような。不思議で魅力的。これらがお話を楽しくしてくれる。

個人的には壷に住んでるコスミスミコが楽しい。あんな子が年末の忙しいときに「いそがし~んですかぁ」なんてのんびりなテンポでしゃべってたら、なんかなにもかもがあほらしくなりそうで楽しい(笑)。また人魚が実にコワい。

とにかく、大事に読みたくなる本。

中公文庫 2001

奈良美那 – 埋もれる

子供のころから親の都合で引っ越し・転校を繰り返し、地元といえるものを持てず、なにものでもない自分が嫌で、ふとしたことから韓国に留学にきて、そこで日本人であることを痛感する、主人公由希。恋人と呼べる人間もいるが、なにか漠然と物足りなさを感じる毎日。そこで作家志望という男性に出会い・・・

強烈ともいえる恋愛もの。韓国人たちのを描く描写も、この主人公の気持ちについても、実にストレートに描いているので、心が痛くなるところも。でもこういうものなのか?こういうものは自分にはない。

それと韓国、そして韓国人。となりの国であり、映画やTVドラマや旅行や友人やらで身近になっているような気がしていたのに、実はまったく何も知らないような気になってしまう。まったく違う人々なのかな?すこし怖いような気もするが、そうでなく、やはりまっすぐすぎるのが、自分にはしんどいのか?

第3回「日本ラブストーリー大賞」大賞受賞作品。

宝島社文庫 2009

週刊新潮編集部 – 黒い報告書

週刊新潮で1960年からはじまった、実際の事件(色恋沙汰多し)を脚色して短編物語にして連載していたシリーズからの抜粋。新田次郎やら岩井志麻子、内田春菊、はたまたビートたけしまで、実にたくさんの執筆者がこのコーナーを担当したそう。

一話一話が短く読みやすい。また時代を感じさせる事件から、最近でもこんなことあるのか?みたいな事件までさまざまでおもしろい。でもだいたいが愛欲もの。なので濡れ場があったりして、電車で読んでるとちょっと恥ずかしい(笑)

ま、時代変われど男女は変わらず、ということか?

新潮文庫 2008

北森鴻 – 親不孝通りディテクティブ

初めてよむ北森さん。読みやすいと薦めてもらった作品。

博多にすむ、天神の屋台の主、テッキと、表立っては結婚相談所の調査員の仕事をしているキュータ。この学生時代の友人2人組がひょんなことから持ち込まれた事件をつぎつぎと、華麗とはいえないけれどなんとかドタバタと解決していく。

6つのショートストーリー。章毎にテッキとキュータの一人称がかわっていくので、最初読み慣れないと、おや?とおもったりもしたけれど、2人とも主人公だから、こういう書き方っておもしろいな。キャラもちゃんと違ってるし。でも2人の見てるところ、ストーリ上でのそのときの立ち位置、時間の経過、なんかが交互にずれながらなので、おもしろいとおもってさっさと読んでいると、なんかわからなかったりするので、じっくり細部まで読みながら想像しながら読む方がいいのかも。

2人の描写もさることながら、博多のあの街の感じとか息吹とかが身近に感じられて、また行きたくなる。それと、北森氏も好きだからなのだろう、(話の設定ではテッキの屋台はカクテルバーである)いろんな美味そうな酒の数々(作り方書いてる)がでてくるのも素敵。

もっと大きな事件というか題材で長編にしてもらいたいなぁ。短編だとどうしても物足りなさ、というか話の展開が急すぎる(見せられてない部分が結構ある)ので、ストーリーとか謎解きとかがすっと落ちてこないことがあるなぁ。

講談社文庫 2006

宮部みゆき – 火車

結婚を目前にあるちょっとしたことから失踪してしまう女性を探していくうちに、彼女のもつ様々な謎が浮き上がってくる。それは彼女が本当は違う人物であって、戸籍からなにからその人物になりかわっているの可能性がある、という仮定に基づく推理だった。彼女はなぜそんなことが必要だったのか?

結構大作で読むのが大変かな?ともおもったけれど、構成とネタがしっかりしているので、前半の謎が謎をよんでいく展開から、後半徐々に謎があきらかになり、その背景にある社会の暗い一面が浮き彫りになっていくにつれ、読むスピードもはやくなり、そんなにタフだとは感じなかった。

この本では宮部さんはわりと人間の暗い部分やら、人の悲しい部分を描くというよりは、どちらかというと、カード社会、金のシステム、についての警鐘を発したかったのだろうか。まんがの「なにわ金融道」を読んでてもでてくるのだが、ほんのちょっとした借金が雪だるま式に大きくなってその人の人生を破壊してしまう、という例は枚挙にいとまがない。それでも昔は貸し借りがはっきりしていたし(人対人で行われていた)、返済能力のないものには金は貸さなかった。でも現代のカード社会は、クレジットやキャッシングが氾濫し、利用している者はそれが単なる借金であることを忘れ、貸す方も無尽蔵にまわすものだから、ふとしたきっかけで借金地獄におち、あとは絵に描いたように「カタにはめられてしまう」。そんな入り口があちこちにあるのに、人はあまり気づいていない。しかしこのカード社会ももうすでにこの国の一大産業になってしまっており、いまさら後戻りすることは不可能なのもまた事実。

借金をつくって自ら破産するような人間は、所詮その人間がわるいのだ。。。普通ならそう思ってしまうけれど、果たしてそうなのか?それは弱い人間だからなのか?それとももっと他の理由があるのか?などなどいろいろ考えさせられる題材。さすが宮部さん。

謎解きのときにやたらとたくさんのヒントを与える人物がでてくるあたりはちょっと辟易したりもしたけれど、ま、実際の話だったとすると、警察やらその他事件を解決していくような過程においてはいろんな人/物から少しずつヒントを得て、それをパズルのように組み合わせていくんだろうから、そんなもんなんだろな、と。

新潮文庫 2008

村上春樹 – アフターダーク

なんだか、カット割りされた映像をみているような描き方の物語だった。ある一晩の、姉妹と、トロンボーン吹きと、従業員さんと、ホテトルと・・・あまり普通はかかわり合わないような人たちが、ささいなことでつながって、ある一つの事件に関わったり、それとは関わらず眠り続ける姉、などなど、散発的なシーンがコラージュのようにでてきては、消え、焦点を絞るのが難しいように見えてしまう物語。読みやすいのだけれど、全体の物語のゴールがわかりにくくて、一度読んでもわかんない。でも不思議にそれが嫌な読後感になったりしない、不思議なタッチの文章だとおもう。

感想書くのもやはり難しい。もいっかい読まないとわからない。
でもおもしろくないかといわれたら、そうではない。
なんか新鮮。

講談社文庫 2006

小川洋子 – ミーナの行進

芦屋の大きなお屋敷に住むミーナと、そこに預けられた朋子の物語。昔動物園もやっていたそのお屋敷にそのころからいるコビトカバのポチ子がなんとも可愛い。

ぐぐっとくるドラマチックな展開でもなく、わりに淡々とお話が進むのだけれど、なんでもないような日常、朋子が知る新しい世界たちがつぎつぎとでてきて、スピード感あって、すいすい読めてしまう。けれども、さっさと読むと、こまかな描写やら事件やら、2人や、素敵な家族や昔話やら、いろんなことをあっさり読み飛ばしてしまいそうになるので、じっくり読むと素敵。

ミーナがやたらと関西弁なことやら、彼女が体が弱いのでそのポチ子にのって学校に通うということやら、芦屋を中心とした街の描写とか、なかでもミーナが大事にみんなに内緒でためていっているマッチ箱の図柄から連想する膨大な物語たち(これがどれもほんとうに素敵・・・小川さんもよくこんなの思いつくなぁ)とか、いろいろまるでいろんな味がするキャンディーのよう。

このひとたちがいまもこの世界のどこかにいるような気がしてならない。
幸せに暮らしてるのかなぁ?
ポチ子に乗りたかったなぁ。

挿絵があるんだけれど、とても素敵な絵たちなんだけれど、ちょっとイメージと違うなぁ、もっとふわふわしてほしいなぁ。

中公文庫 2009

乃南アサ – 団欒

「団欒」という、その言葉から想像する場合は、どちらかといえば和気あいあいとしたような、あったかいような、幸せな雰囲気を想像させるものであるのに、この5編からなる短編集はまことにもってゾッとする団欒、家族、恋人たちの模様が描かれている。普通に転がってる題材をこうも人間の負の部分を、また気持ち悪くなくさらっと描ける乃南さんの文書にまたまた脱帽。面白いもん、気持ち悪くても。

”だって家族なんですものね”という言葉ですべてのプライバシーというものがない家族を描く「ママは何でも知っている」、極度の潔癖症と整理整頓だけにすべてを奪われてしまう家族を描く「ルール」、ゲームをするかのように築き上げていた子どものままの世界がわずかなほころびから崩れ去ってしまう「僕のトンちゃん」、実際にありそうな(そしてあったら非常に怖い)、そしてすごく悲しい家族模様を描く「出前家族」、そして死体と一緒に暮らしてしまう表題である「団欒」。

あぁ、どれもシュールすぎる!

新潮文庫 1998