踊るペンギンさんのアニメーション。
それだけかと思ってたら、ストーリーは意外に社会的なことも言ってたりして、へーっと思ったりしたけれど、やっぱり子供向けだからか、深いところまではいきようがなかったのかなーってのが残念。
でも単純にかわいい。この糞暑い時期にはちょっと涼める。

Tsutomu TAKEI, sax and flute player : 武井努 サックス、フルート吹き
読んだり、見たり、食べたりしたものの感想です。
踊るペンギンさんのアニメーション。
それだけかと思ってたら、ストーリーは意外に社会的なことも言ってたりして、へーっと思ったりしたけれど、やっぱり子供向けだからか、深いところまではいきようがなかったのかなーってのが残念。
でも単純にかわいい。この糞暑い時期にはちょっと涼める。
最近ドラマになってたようだけれど、この作品が新聞に連載された後にドラマ化したやつみたいなー。最近のじゃ、きっとこの作品の雰囲気でないもん、絶対。
昭和30年代から40年代ごろが舞台の愛憎劇。さる会社の男とその妻、銀座ホステスであるその愛人、そして男の呑み友達である初老とそのお抱えの小娘。こういう話は昔の方がよくあったんだろうか?
最 後まで読んで、その話のどんでん返し感にもびっくりだけれど、そこまでにいたる男女の思惑、たんにどろどろしたということではないリアルな愛憎、男と女の 見えない駆け引き。やはり女は強し、か?いざとなると腰が据えられるのはやはり女性なのか?ちゅうか女性こわい、と思ってしまう。
しか し作者の男性、女性を問わない心理描写は見事。作者男なんちゃうか?と思ってしまえるほど、男性には主人公もしくは初老の男の言動心理はよくわかるだろう し、また妻、愛人とう女性側の言動心理もなるほど女性ならではのもの。あまりにも両者リアリティがありすぎて、読み進むほどに心苦しくなってしまう。ドキ ドキとはちがって、主人公への心理的圧迫感がそのまま読者にまで伝わってくる。恐ろしい。
結局結論はうやむや、というか、本当のところはどうだったんだろう?男性情けなし。うろたえるまえに己が病院もう一度いって検査したらええやんけ!と何度思ったか。
面白かった。
新潮社 2006


いやー、久々にみました、おバカ映画!!たんにアホみたいにビールが消費されるだけの映画(笑)
ストーリーは2行ぐらいで書けてしまえそうなぐらいなので、書かないけれど(笑)、とにかくビールを飲みまくるシーンばかりの映画。CGもあったけれど、実際に呑んでるシーンもあり、あんなに速く呑めるものなのか?!を目を疑ってしまう、それほど見事。
感心したのは、ビールひとつであんなけいろんな遊びがあるということ。卓球のやつとかやってみたいな(卓球台の4隅にジョッキをおいておき、普通に点を取られたり、ジョッキに玉をいれられたりすると、呑まなければならない)。缶ビールのはや呑みはあーやるのかー、とかとか。
しかしおおっぴらにドイツを悪者に仕立て上げられるあたりが、戦勝国の癖というかワンパターンというか。でもそれがおもろいんだけれど(笑)。夏の暇な時間にはぴったりの映画ですわん。
ちょっと変わった夫婦、そう、ひととのつながりが少し不得意な2人、の物語。単にその夫婦の愛の形、そしてそれぞれの浮気の形、という話だけにはとどまらない。
江國さんの本にしてはすいすい読める本だった。それともこのひとの文章に慣れてきたのか。いつもよりこまかく描写してるからだろうか。しかしこの人の文章ででてくる「ずぼん」てひらがな、めちゃ江國さんぽいと感じるのよね。
そういった夫婦の少しずつ変化する日常を描きながら、すこしずつウソをついて、そういうウソがあったことを思い出す。それは必要なことなのか、そうでないのか。この物語を通して人生の含蓄をたくさん語っているように思う。
好きな台詞
「なぜ嘘をつけないか知ってる?人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは守ろうとするものに」
幻冬舎 2006

ひさしぶりのばなな。
あとがきでも書いてるように、彼女自身も、僕も、一番最後に収録されている表題でもある「デッドエンドの思い出」という短編がとても気に入った。
悲 しいちょっとおどじな女の人の話だけれど、失恋して落ちこんでいるときに生きるヒントをくれる西田君という男の子の有り様がとても心に響く、というか、こ んなひとがいたらほんと幸せな気分になるだろうなーと強く思った。こういう人に憧れるけれど決してこんな人にはなれないだろうなーと思ってしまうのがくや しい。でも友達にいてほしいタイプやなー。
他の3編もあわせて、全4編とも女性が主人公。どれもテンションたかくなく、普通に生きていて、喜んで悲しんで、そんな人間模様が、ちょっと弱った心にやさしくしみる。
文藝春秋 2006

去年だかいつだったか映画化されて話題になった(チャン・ツィーが主演だったっけ?)作品。外国人が書いた花柳小説として話題にもなった。
な によりも昭和初期から終戦後にわたる時代の舞妓さん・芸妓さんたちの日常が事細かに描かれていて、それだけでも読んでいておもしろい。もちろんこれは「さ ゆり」なる芸名の芸妓の半生をつづったフィクションの小説なのだけれど、かなり詳細に下調べしたようで、その時代時代の人間模様が手に取るようにわかる。 また小川さんの訳がとても適していて、京ことばのうつくしさがよくわかる。
どうしても芸者やら花魁やら、とかその世界こととなると、確 かな知識なんてなく、誤解やら(外国人にも日本人さえも)へんな認識ばかりが先行してしまいがちなのだが、アーサー・ゴールデンのこの文章からはそんなこ とはみじんも感じられず、こういう世界に対する愛情さえ感じる。こういう文化を生み育んだ国の人間としては、ほんと頭の下がる思いだ。
し かしこれが祇園の花街の世界どす、というわけではなく、100人いれば100通りの世界があるわけで、これをよめば花街やらお茶屋さんのことがわかるわけ ではない。でも思っていたのとは全然違う、人間くささやらおかしさ、そしてそのすばらしい文化、芸の世界についてもっと知りたいという気持ちをかきたてて くれる。上下巻一気読みした。すばらしい。
文芸春秋 2004


届いた手紙を唯一の手がかりに、バリに友人を捜しに行く小説。そこでの1週間の滞在中にいくつもの神秘的な体験をし、自らを解放するというお話。
単 なる小説としてではなく、バリに興味があったり、バリの人たちがどういう風に考えてるのかとかを知りたい人が読んでもきっと面白いと思う。実際こういう風 にはっきり書いてる小説ってのはないんじゃないかな?あまりにも違う、現代(西洋文化)社会との価値観、システムの違い。
いまの世の中 ははっきりいって大半が西洋人というか白人たちが生み出したシステム=価値観で動いている。それは便利で快適だけれど、それらが導入されるまで存在したほ かの(日本も含む東洋的文化も)文化を淘汰し標準化、客観化してしまった。いいことなのか悪いことなのかはわからない。けれどもそういったものをもってい た人間たちの能力は失われたり、影をひそめてしまったりしてしまった。
小説では絶対音感をその象徴として扱っている。音楽教育を受けた 主人公が身につけている絶対音感(=暗喩としての西洋的社会システム)が、ガムランやバリの自然の神秘に触れることにより崩壊し解放されることにより自分 を取り戻す(=今の社会システムの中での自分の立ち位置を再認識する)。
確かにいまの社会ではその仕組みや価値観からはみだすものは排 除されたり、本人の居心地が非常にわるかったり、どこかに矛盾やひずみが潜んでいる。もしかするとそれは血として引き継ぐものからの抵抗なのかもしれな い。あまりにもあたりまえに受け入れてるいまの社会のありかたがいいのかどうか?なくしてしまったものはなにか?そんなことを考えさせられてしまう、そう 思える小説だと思う。
この本からたくさんのヒントをもらった気がする。
筑摩書房 2007

江國さんの本はいつもそうだが、この本は特にそうで、それぞれの短編にでてくる人物たちの生き方の感覚というか、”感じ”というかがとてもある意味ストレート、すごく感覚的で、共感できるような気もするし、恐ろしいような気もする。不思議な感覚。でも嫌じゃない。
普 段自分が社会やその他自分以外のものと接している部分というのは、何らかの見てくれやら殻やらそういうものをまとっているのが普通なのだけれど、そういう ものをとっぱらってしまって、すごくベーシックな素直な、ストレートな感覚で、今一度見直してみると、ずっとシンプルに、それがわがままと簡単に片付けら れてしまうかもしれないけれど、より自分で生きていけるのかもしれない、ということを行間で読んでしまうのだけれど、実際そうするのって難しい、でも憧れ てしまう、でも無理かも、と、へんな感覚が頭をどうどうめぐりしてしまう。
でもすてき。こういう人たちは好きだ。
新潮社 2007

教師として働きはじめた良家の子女が、ほんのちいさなことから転落の人生をおくっていってしまい、最後には殺されてしまうという、どうしようもないお話(笑)。
主 人公松子のその融通の利かないというか、まっすぐすぎてどじくさすぎる、しかも運のない性格に、読み進むにつれ「きーーーっ!」となってしまうのだが、そ れでも読んでしまうのは、そんなツイてない人生なのに、どこかに希望をさがしてしまうからなのか、同情からなのか、はたまたそれにもまして話の語り口やら 展開がおもしろいからなのか。よくわからない。でも最後まで楽しく(というと不謹慎?)読めた。
人生何が転んでるかわからないし、それ がいつどんな形で現れ、どうその後に影響していくかなんて、”今”しかわからない我々には、知ること、気づくことさえできない。だからこそその瞬間瞬間を 最良の選択で生きていきたいと誰しもが考えるのだろうけれど、そう考えていても、どうしようもなく歪んでいって修正きかなくなったり、思わぬ方向へ転んだ り、人生は進めば進むほど裾野がひろくなって、動けるけれど、戻れなくなる。そういうことが年を食うと実感として理解できるようになる。
物 語の主人公松子と、突然その死を知るまでまったく松子をしらなかった甥である笙。現在形でその人生を語っていく松子の視点と、それを客観的に過去の話とし て見ていく笙の視点。松子が生きてきた人生をひも解きながら、笙が感じる人生とはどいうことか、という感覚こそ、作者が表現したかったことなんじゃないか な?

