伊坂幸太郎 – ガソリン生活

gasoline

コロナウイルスによるキャンセルの投稿ばっかりになって、めげてしまいそうなので、サボっていたレビューを。この作品、実はだいぶ前に読んでいたのだけれど、レビュー書かずに置いたままになってて、時間も経ったのでもう一回読んでみた。いやーーー、最初に読んだ時も面白いと思ったけれど、もっと面白く感じられた。やっぱり伊坂さんの作品は、緻密で、ユーモアに溢れている。そのおかげで実はかなり怖いこと書いてあっても(実際に現代社会のそこかしこにある闇)、そこまで怖く感じられないのがいい。

さて、この話はタイトルにあるように、ガソリンで生活するものが主人公。それは緑のデミオ。つまり車。でも例えばアニメのカーズのように車が自分で行動して大冒険!みたいなメルヘンチックなものじゃなくて、車は所詮車で、人間に運転してもらわないと動けないし(もちろん自分の意思で行きたいところに行くってこともない)、人間とコミュニケーションできるわけでもない。でも車はみんな人格(車格とでもいうのか?w)を持っていて、車同士はその排気ガスが届く範囲では会話ができる。自家用車はたいがい自分の所有者のことが好きで、働く車は一目置かれやすく、タクシーはおしゃべりが多い。そして車輪が多い方が偉いと思われてて車はみんな貨物列車に畏怖の念を抱いている。そして彼らが一番恐れるのは廃車w。車検が近づくと落ち着かない気分になるそうw また同じタイヤを持つものでも、バイクや自転車のような2輪は少しバカなのか(車が言うところによると)会話は成り立たない(「※★Φ!」とか言うw)。でもデミオはいつか会話できるかもといつも声をかけたりする。

というような、設定がほんとに面白い。本当に驚いたら「思わずワイパーが動くような」気持ちになったり、憎いやつは「ボンネットで挟んでやりたく」なったり、悲しくなったら「マフラーから水滴が落ちる」ような気分になる、などなど、きっと伊坂さん車になりきって思いっきり想像したんだろうなー的な描写がたくさんで、これまた楽しい。

その緑のデミオの所有者は望月さんで、夫に先立たれた妻と子供3人の家庭。名前そのまんまの弟言うところのベリーグッドマンである長男・良夫。思春期に入って何かと反抗がちな長女・まどか。そして望月家でいちばん聡明で子供とは思えない10歳の次男・亨。ある日良夫と亨が車で出かけていた先で停車していると、乗り込んできた女性がいた。それは誰もが知る元女優・荒木翠だった。彼女は追われているらしい。ある人と合流するのだという彼女の言われるがまま送り届けて別れるが、次の日彼女が事故死したというニュースが。荒木を車に載せたことや、そのあとの急死を巡って新聞記者などと繋がるうちに、望月家はやっかいなものごとに巻き込まれて行く。。。

結局は傍観しかできない車たちが(物語は彼らを通して語られる)どう感じ、何を話し、そして望月家のみんなはどうなるのか?ハラハラドキドキするし、ものすごい怖い話もさらっと語られるけれど、伊坂さんのユーモアとめくるめく展開にすべては見事に昇華される。ああ、素敵、面白い!そして物語のエピローグが素敵すぎる。もし本当に車たちがこうやって会話してたらと想像するだけで本当に楽しいし、愛おしくなる。運転はきちんと、アクセルとブレーキは優しく。

しかしほんと読めば読むほど、伊坂さんの作品はちょっとしたことも無駄なく繋がって一つの物語を紡ぐように書かれている。ほんのちらっとでたことが後に大きなポイントになったり、ほんとに緻密だなーと思う。もしかしたら伊坂さんが作曲家になってても、すごく緻密な曲かけるんじゃないかーと思ってしまう。仙台でうろうろしてるときに、ふっと出会ったりしないかなあ、密かにいつかそういう機会ないかなーと楽しみにしてるのです。

p.s.
緑のデミオの所有者望月さんちの隣の細見さんちには古いカローラ、通称ザッパがいる(細見さんがフランクザッパが大好きだからw)。伊坂さんの作品は必ずといっていいほど音楽ネタがでてくるけど、今回はこのザッパの語るフランクザッパの名言たち。

「人間のやることの99パーセントは失敗なんだ。だから、何も恥ずかしがることはない。失敗するのが普通なんだからな。」

「一部の科学者は宇宙を構成する基礎単位は水素だと主張するが、それには賛成できない。水素はあちこちに存在しているから、というのなら、水素より数多く転がっているものは愚かさだ。愚かさが、宇宙の基礎単位だ」

他にもいくつか出てくるけれど、ほぼ聞いたことないフランクザッパに急に興味が湧いてきた。

p.s.2
ちなみにこの文庫本版には、気づきにくいけど、カバーの裏に「掌編小説」と銘打って短いエピソードが描かれている。これがまた素敵で、こんなことやってみても楽しいだろうなーって思ったりも。ほんと伊坂さんありがとう。

朝日文庫 2016

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伊坂幸太郎 – 3652

3652

伊坂さんのエッセイをまとめたもの。デビューの2000年から2015年のものまでいろいろ。3652って10年分の日数(最初の1,2年目がうるう年でなければ^^)だけどエッセイは15年ぶんだけどなんでだろう?とおもってたら、最初に出した時に10年目だったからだそう。文庫本は2015年までのものも掲載されているのでなんかお得感あり。

伊坂さんはエッセイは得意ではないといっているけれど、いやいや、なんだろう物語じゃなくて、普通に喫茶店でしゃべってて面白い話とか、ふーんと思うこと聞かせてもらっているような感じがしていい。最近はまってるいしいさんは、なんか腐れ縁の幼馴染と話している感じだけれど、伊坂さんは大学で出会った知的な同期としゃべってるような感じがする(偏見?)。

干支のエッセイにやたら苦労してるところとかもいいけど、この本の場合、そういう書き物をしたからというのがあるんだけれど、毎年伊坂さんが読んで面白かった本を推薦する文章とか、好きな本を紹介するものがあったりして、これがまた他の本を連鎖的に読みたくなってしまう衝動になるので、いいんだけど、困る。そんなたくさん読めないぞーw

こういうエッセイを読んでいても、どこかしら伊坂さんの控えめで、きちんとした(例えば江國さんだったら、もっと堕落した感じがするし、村上さんだったらもっとヒネた感じがする)感触がする。それは物語でも変わらない。そしてそんな伊坂さんがどうやら普通に仙台の駅前をうろちょろしているというのは本当らしいので、いつか出会ったときにパッとCD渡せるようにいつも持って歩こうと思うのでした。なんのこっちゃw

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伊坂幸太郎 – ジャイロスコープ

gyroscope

伊坂さんの短編集。デビュー15年を記念した文庫のオリジナルの短編集。あちこちに書いた短編を(でもそれらもなんだか関係ありそうな感じもしたり)あつめ、書き下ろしを一編。オムニバス映画を見ているようで、話ごとに状況やテイストが違っていて、面白く読めた。

とある知らない街で相談屋と名乗る男に声をかけられる「浜田青年ホントスカ」、謎の巨大生物が存在して街が破壊されたらしい「ギア」、どこか文学的な不思議な世界が描かれる「二月下旬から三月上旬」、後悔ばかりしてしまう男がバスジャックに出会う「if」、一年に一度その日のために全てを準備し注ぎ込むあの方達の会社があったら、、、「一人では無理がある」、丁寧にやれることをできるだけするがモットー「彗星さんたち」、そしてこれらの短編をつなげる受け皿として書き下ろされた「後ろの声がうるさい」。どれも素敵だな。

「一人では無理がある」は伊坂さんぽいなーと思う素敵なお話。「彗星さんたち」も好きだな。文章もだけれど描かれている新幹線の掃除する方々が素敵だなと。たまにでてくる、登場人物が読んだ本から引用する格言のようなもの(今回はパウエル長官の本ということだった)がいちいち「いいな」とか思えるところも(余談だけど、こういういの描かれると、その本読みたくなるのよねえ)。そして書き下ろし「後ろの声がうるさい」は短くてもほろりとするロマンチックな話だった。やっぱり伊坂さんいいな。

そして伊坂さん作品をいろいろ読んでて今更気づいたけど、本のタイトルって邦題(というのか?)と英語のタイトルついてるのね。ちなみにこのジャイロスコープは「a present」、なるほどなーという感じ。他のも見てみよう。英語の方が本のイメージわかりよいかも。だからどうだって話だけど^^;

新潮文庫 2015

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伊坂幸太郎 – 死神の浮力

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伊坂さんの「死神の精度」の続編として書かれた長編。前作を読んでなくてもこれ単体で楽しめる。今回も人間の死の時期の見極めにやってきた死神たちが人間の生活と微妙に関わる。

死神・千葉(死神はなぜか都道府県名)が今回担当するのは、1年前に娘を殺害されたという作家・山野辺。まさにその犯人である本城への無罪判決が出た直後に彼らを訪ねる。山野辺夫妻は世間の興味の目をさけ家にこもっていたが、彼らは本城への復習を緻密に計画していた。しかし実は本城は彼らの予想を上回る頭の切れ味をみせる。彼はサイコパスだった。

そんな彼らの復讐劇を横目に見ながら死神・千葉は山野辺の力になるでも邪魔になるでもなく彼らに付き合う。時には結果的に助けることになったり、邪魔になったり、肝心なことをスルーしたり。死神が自分の仕事を全うするために、人間だったらこうするのにーというようなことをしなかったり、思わなかったり、言わなかったりするあたりが面白く、逆にこのことによって人間が普段どういう風に生きている生き物なのかということを目の当たりにさせられる。それがひとつの伊坂さんの狙いでもあるのか。そして本城はサイコパスという役割のもとで、生きていく上での絶対的な悪というか、悪意とか運命的なものの象徴になってるようにおもう。ほんと読んでて憎らしい。でもそういうものを前にした時の人間の言動にまたはっと気づかされる。

伊坂さんの作品はこんな死とか悪意とか人間にとっては大きな壁となるようなシリアスなものの存在を示唆しつつ、それをあくまでもシリアスじゃなくてエンターテインメントの中で表現しているので、読んでいて本当に怖くないというか、シリアスな気分に落ちていかないのがいいと思う。それでも大事なことはちゃんと伝わるようにしている。これこれこんな恐ろしいことがあるんです、怖いですよねー、僕も怖いんです、的な、読者側と同じ視点にいるというか。もちろん作者と読者は物語からすると神のような位置にいる(全部を見渡せるわけだから)けれど、大概は作者が提示して、読者がうけとるのだけれど、伊坂さんの場合、気づくと横にいて同じ方向から眺めているような感覚になるときがある。

結構大作で、結構シリアスで、いわゆるパズルのピースのようなバラバラの物語がひとつになるっていうタイプじゃなくふつうに進んでいく物語だけれど、最後までどうなるんだろう(つまり本城が予想の上を行き続ける)という感じがおもしろく、でも悪意と失意に満ちている。けれども死神がたまに口にする我々人間にとってはトンチンカンにうつることが少しユーモアを与え、文字から聞こえてくる音楽が潤いを与えているよう。

端々に引用されるパスカル、渡辺一夫の言葉が重くておもしろい。死、というものについて、誰にでも訪れるものということを人間が見ないようにしている事実。人間という生物の特殊さ。今回のこの死神の物語は、そのあたりが見せたかったことなんだろうか。

とても面白かった。

文集文庫 2016

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伊坂幸太郎 – 残り全部バケーション

nokorizenbu

やはり久しぶりに読むと面白い伊坂さん。なんてことはない物語であっても、パズルのように組み合わせられると、その断面の見え方で違う感じになったりして、例えばある人の意外な面を突然見せられたりするようで面白い。この物語は当たり屋やらなんやら非合法なことを生業として生きている岡田と溝口。この岡田がある日この稼業から足を洗いたいと言ったところ、溝口は「適等な電話番号にメッセージをおくってその相手と友達になること」を条件とする。そこから物語が始まる。

時系列を行ったり来たりするので相変わらずけむに巻いたような感じで話は進んでいくが、岡田がいろんな余計なことに首をつっこむ(彼の性格らしい)と、なんでも適等に考えずにやってるようにみえる溝口のキャラが軽妙で、割と深刻なことを描いてあったとしてもそう思えないから不思議。この辺りのさじ加減も伊坂さんらしいなというところか。子供の虐待をまるで映画ターミネーターとヤマトの話をまぜたようなネタで解決してみせたり、子供時代の岡田がでてきたり(描かれてなくても昭和感がででる)、同じ世代の人が書くもの語りは設明なしにシンパシーを感じてしまえる。

途中で岡田は溝口のさらに上司である毒島に連れ去られてしまって(仕事の失敗を溝口が岡田に押し付けた、この辺りも溝口の適等さ加減がでている)、その消息はわからなくなってしまうが、、、、そして溝口と毒島も対決することになってしまうが、、、その結末は。。。

ちょうど読んでいるときに北朝鮮の金正男氏の暗殺事件があって、その手口が複数人による手の込んだやり方で、実際に手をくだした人間はテレビのドッキリだと思っていたあたり、この物語で描かれるある場面に似ていてびっくりしていた。「作業は一つずつこなしていけばいい。分担するのだ」こういった溝口のセリフがこの事件に重なって強くなった。伊坂さんなんか知ってるの?(そんなわけはないがw)

解説で佐藤正午氏が見事にこの小説をひもといてくれているし、その中で伊坂さんの手法についても書いてくれている。。この本の仕掛けについても、伊坂さんのねらいについてもなるほどなあと思うことばかり。すばらしい。

集英社文庫 2015

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伊坂幸太郎 – 夜の国のクーパー

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仙台からヤケになって船をだしたのはよかったが、あらしに巻き込まれ、気づいたら知らないところで寝転がっていた。しかも縛られている。ふと見ると胸の上に猫がいて話しかけてくる。。。。

伊坂さんもいろいろ読んできてるけど、こういうパターンは初めてだし、まあ昔はかかしがしゃべったりもしたけど、猫が喋るという点でもう読まずにはおられない気持ちになった。

猫はいろいろ語りかけてくる。この国(どうやら知らない世界、国は来てしまったらしい)では長く戦争があったけれど、それがようやく終わった。しかしその戦争には負け、いよいよ占領軍がやってくるという。占領軍は怖かったが一応なんとかむちゃくちゃはしないようだ。でもこの状況を打破したい。それにはクーパーの戦士というものたちが救ってれると街のものは期待している。クーパーとはその戦争をしていた相手国との間にある谷に発生(?)するという木から変化した巨大な怪物らしい。。。。

おとぎばなしや寓話のような肌触りで、だからこそ奇想天外なだったり、非日常的な物事が起こったりしても「まあ、わかんないけど、それはそれとして飲み込んで次にいくか」的な感触を与えながら、どんどん物語が展開をつづけていくのはちょっとオーデュポンの祈りの感じに近いかなとも思うけれど、この物語の場合は、そのふわふわふわーっとした、まるで子供が空想したもののような確固とした手触りのない物語の奥底かはたまた空の上に、見えないほどかすかだけど確かに存在する暗闇や暗雲のような不安感をずっと感じさせる。面白おかしく描いた寓話の裏に実は真実が隠してあって、、、的な。

あとがきや解説で作者本人や松浦氏がそれがどういうことなのかという話は書いていたりするけれど、でも、それ以上に(その作者が書いたあとがきの言葉以上に)もっともっと、いまの世に訴える、人々に気づいて欲しいなにか、漠然と感じているかもしれないけれど、それが何かであるかはみんな普段考えまいとしているような物事、を伝えようとしているんじゃないかと思ってしまう。考えすぎなのかもしれないけれど。魔王やマリアビートルのときにも感じた、「これこれこういうこと、あったら怖いよねえ。あ、いやーそんなこときっとないけどね、ははは」というように言ってしまいそうな、あるかないかわからないけど、あったら(起こったら。もしくは存在したら。もしくは存在するけどみんなが見ないようにしてたら)恐ろしい物事を描こうとしてるように思ってしまう。

まあそれ以外にも、この物語自体を、自分の身の回りのことや、伊坂さんいうようにいまのこの国に置き換えて読んでみると、あれれ?もしかしてなあ、とか思うこともたくさんある。世の中ではそれを陰謀だなんだかんだと、どちらかというと面白い方向に目を向けてしまいがちだけど(向けさせてしまいがち?)、それより実際、我々のような力のない市民がいざという自体になったとき、何ができるのか?実際はなにもできない弱い集団であって、気づかないうちにやんわりとだけどじわじわと崖っぷちに立たされようとしてる、、、それがどういう物事の比喩かは置いておいて、そんな状況に実際なってることがいくつもあるのに、昨日から今日、そして今日から明日へとつづく安穏を貪りたいがために、目の前に吊される美しくて心地よい看板しか見ないようにしてる、そんな情況を危惧してみなに訴えようとしてるんじゃないかと勘ぐってしまう。実際はもっと個人的な感情で書いている、というように言っているけど。

読んでるときや読後すぐは、なんだろこれ?面白いのか面白くないのか?とか思ってしまうけれど、あとになってジャブのようにじわじわぞわぞわと何がしかの感触が這い上ってくるような作品だった。

解説では松浦正人氏がもっと物語の(文章作品としての)伊坂さんのねらいやうまさ、テーマとそれに紐づく哲学者たちの言葉などを書いてくれていて面白い。こんなことは知らないと読んでるときはなにも出てこないけど^^;

創元推理文庫 2015

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伊坂幸太郎 – PK

isakaPK

伊坂さんの作品は文庫で出ているものだけ読んでいってるので、ほぼ追いついていてなかなか新しい作品に出会えなくてやきもきしているのだが(どうもハードカバーは好きじゃない。装丁とかいいし、持っててもいいんだけど、本棚に並べると邪魔なので)、久しぶりに手に入ったので嬉々として読む。

「PK」「超人」「密使」の三編からなる作品。これらは一続きのものではないのだが、「PK」と「超人」は一部登場人物が重なっている。でも読んでみるとわかるけれど、あれ?同一人物なのか?違うのか?何かすこし違いを感じる。それは時間か、場面か、何かほんと微妙なもの。そしてそれらを結びつけるのが「密使」。これまたすごい(誰もそんなの思いついたことないヤツが鍵を握る)発想のSFぽい作品。なので、ばらばらの三編としても読めるけれど、実は三位一体となって出来上がっている一つの作品ともいえると思う。

一つの話のなかにも幾つかのパートがでてきて、それらが時間を軸として繋がっている。なので、注意して読まないとなんのこっちゃわからない(でも、普通に読んでいても面白いのが伊坂作品のすごいなとおもうところ)。結局、大森氏による解説を読むまで、うすらぼんやりとしかこれらの話の裏側はわからなかったけれど、それを読めば、ああ、なるほど、こういうことだったのか(自分で気づけよ、という話だが)と納得(でもそれすら正解かどうかわからない)。

ある点でドミノだおし的展開をする「フィッシュストーリー」に似ているけれど、伊坂さんが「割り切れない倒れ方をするドミノを作ろうと思った」といっていた(らしい)とおり、気持ちよく、スカッと話のピースがピタッとはまる感じはなく、なんとなくうやむやとした感じになる。でもそこが狙いだったんだろうと思う。

なにか要因があってそこから結果がうまれる。それらがたくさん集まって世界やら運命やら時間やら、僕らの手では負えないものが動いていく。一人一人では大きな力は発揮できなくても、小さな力、勇気、それを奮い起こすもの(ヒーロー)がいれば、やがて大きなものの行く先は変わっていく。気持ちが萎縮すればまた違う方向に流れていく。

セリフとして引用されるいくつかの言葉がキーになり僕らに力と夢を与えてくれる。チャップリンの言葉「ひとりひとりはいい人たちだけれど、集団になると頭のない怪物だ」、同じくチャップリンの言葉の変形「人生を楽しむには、勇気と想像力とちょっぴりのお金があればいい」、アドラーの言葉「臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する」。なんか泣けてくる。

これはもう一度話の構造を分かった上で読んで、楽しまなければ。

講談社文庫 2014

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伊坂幸太郎 – マリアビートル

東京駅から東北新幹線に偶然か必然か乗り合わせた”物騒な仕事をする”人たち。息子の仇討ちをしようとする元殺し屋、闇の大物の息子の救出を見事になしとげた腕利き2人組、この新幹線内での密命を受けた優しすぎる男、優等生の顔の裏に悪魔が潜む中学生。昔の仲間に復習しようとする男。だれかを始末するためにいるらしい人物など。そんな彼らがアタッシュケースをキーに結びつき、交錯し、知恵を絞り合う。もしかしたら目的は別だから彼らはバラバラになにも交わることなく単に新幹線内での時間を少しずつずれながら共有しただけだったかもしれないのに、神のイタズラからか、彼らの運命が交錯する。お互い関わりたくなかったとしても。

列車の中の物語というのはあまり視点(舞台。もっともこの話の場合はちょっとだけ列車外の世界もでてくるが)が変わらないのでもしかして物語をつくるのって難しいのじゃないかな。でも「オリエント急行殺人事件」とかとか素材にした物語も数あるところを考えると、逆に細かな部分をいろいろ作り込めるのかもしれない。この作品の場合は途中でいくつかの駅(最終目的地は盛岡だが)で停車する、それぞれの駅の間の時間がいろいろだ、ってあたりで物語の時間的な制約もあったりで、逆にそれがポイントになったりして面白く書けたりするんだろうかー、とかいろいろ考えてみたけど、もしかして伊坂さんが単によく乗るから、って理由だったら面白いな、とか思ったり。

今回も魅力的な(そしてすごく憎らしいやつもいたり)キャラクターが揃ってて面白い。好きなのはやっぱり2人組の殺し屋さんかな。極端な職業に就いてる人たちだから言うことも行動の仕方も極端なんだけれど、それらがうまくバランスをとっていて、また、いつものように謎で含蓄ある台詞をしゃべったりするので、楽しかったり唸ってみたり。あまりトリッキーなことやバラバラな話がパズルのようにぴたっと収まったりというアクロバティックな作品ではないけれど、なんせスピード感があってとてもいい。

けれど、そういう表面的にはスピーディーでオモシロくて、、、という部分じゃなくて、その裏にまるで山椒の小粒のようにピリリとエッジを効かせているのは、いくつかの作品で(といっても文庫だから少しタイムラグはあるが)伊坂さんが描こうとしてるんじゃないかと思う「悪」というか、「いいもの、それで普通に見えていたものの影にある実は悪なものもの」じゃないかな。それらは分かりやすいものではなくて、いままでは見えにくかったけれどもずっと存在していて、ネットなど社会と人間のつながりが変化して少し見えるようになってきたもの、積もり積もったものが腐ってほころびてきた部分、とかまたは現代社会になって新たに生まれてきたような「悪」とか「悪意」とか「善のようなふりをしている悪」のようなものを描こうとしているのかな、と思う。

以前読んだ「モダンタイムス」では”見えているもの/みんなが知ってること本当の姿か?”、”ネットで検索してでてこないものは存在しないものか?”というような昨今の社会の人々の意識/知識のあやうさを描こうとしたように思えた。物質的にや社会システム的にはだいぶ満たされて皆それなりに幸せぽく暮らして行けるこの日本の(世界の?)社会だけれど、なにかどこかに昏い落とし穴があるような空虚さを感じたり、善意の顔をした嘘がふとしたときに視界の隅を横切ったりするようなことある。それはたまたまじゃなくて常に存在するものなの?見えてるもの、そうであると信じて来たものが本当に正しいのか、いいことなのか、というのは巧妙にごまかされている場合があるんじゃない?と問題提起してるんじゃないかな、というと言い過ぎなんだろうか。

なんせ「王子」の徹底的な悪ぶりが、腹立たしいぐらい悪くてたまらない。それに対して各人たちがこれまた含蓄ある台詞を吐くのだが一度読んだだけではここにピックアップすらできない、多すぎてw。唸らせられる。そして物語がはっきりと終わらないあたりも(聞いた話のようにして終わるあたりも)この物語の主題をもう一度示唆させてるのかもねぇ。うーん。

でもほんと面白かった!600ページ弱あるけど一気読みしてしまった(電車で)。マリアビートルってそういう意味なのねぇ。

買って長いこと読まずに置いてたら(順番待ちしてた)うっかり2冊買ってしまった。。。ああ。

角川文庫 2013

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伊坂幸太郎 – バイバイ、ブラックバード

だいぶ伊坂さん作品も出版された文庫に追いついて来てしまったので、なかなか新しいのに出会えない。ハードカバーを入手すればいいのだけれど、どうも大きいのもって歩けないのでねぇ。この本もずいぶん前に手に入れてたけれど、読むまで(順番があったので)時間が経ってしまった。

「bye bye blackbird」といえばジャズを聴く人間なら一度は聴いたことあるであろう曲のタイトルだ、とすぐに連想してしまう(以前読んだ「ゴールデン スランバー」のタイトル見て、あ、ビートルズだ、と思ったように)。このタイトルがいつどういう形で物語に関わってでてくるのだろう(やはりゴールデンスバンバーもそういうシーンがあった)とか思いながら読み始めたけれど、そんなことさっさと忘れて没頭してしまい、あっという間に一気読み。すごく面白かった。短くはない物語であるのにすごく軽やかに読め、かといって単純な訳ではない。巻末の伊坂さんへのロングインタビューを読むとそれがなぜか分かる。

この本は6章だてとなっているけれど、実はこれらは短編として連作されたものだそうで、しかも「ゆうびん小説」という形(一つお話ができると、それを選ばれた50人の読者に送って読んでもらう、という形。ある日帰って来たらポストに伊坂さんの小説、しかもできたてほやほやの、があったらなんて素敵なんでしょう)であまり締め切りを切らずに書かれたものだそうで、伊坂さん自身も結果としては結構速いペースで書いたけれど、追われずにかけたので一話ごと納得ものになった、といっている。なるほど、だからこんなにぎゅっとした、短編なのに長編のような読後感があるのか。

主人公・星野一彦は自身の不祥事(これもなにかは詳しく語られない)のせいで繭美という粗暴で下品な大女に見張りにつかれ、やがてやってくるという<あるバス>(これについても曖昧にしか語られない、それがいい)に乗せられどこか知らないきっと戻ってこれないであろうところに連れて行かれることになり、嘆願して彼の5人の恋人たち(なんと5股だったわけで)に別れを告げに行く、というストーリーなのだけれど、一話ずつ完結して描かれているのだけれど、連作ということで、同じ話の形を踏襲している、というか同じ台詞から始まる、こういうちょっとしたことが面白い。でも話が重なっていくにつれて、前後にちょろっと関係があったりするのも楽しい。そしてキャラクターが楽しい。星野のよく考えたらむちゃくちゃなのに憎めないキャラもだし、繭美のむちゃくちゃすぎるのに筋が通ってる感じもだし、5人の恋人たちも、なにか普通とちょっと違う感じなのがいい。

お話だからふーんと読めるけれど、これ実際だったらこんな感じにはならずにもっとめちゃくちゃになりそうな感じがするのに、そうならないのは、伊坂さんの誘導か、それともじっさい繭美のような女がいるとそうなってしまうのか。完全にありえない話だけれど、なにかリアリティとむちゃくちゃなのに納得させられる感じもあって、伊坂作品の不思議さ、というか巧さにほとほと感心してしまう。そして始まりも終わりも曖昧な感じなのに、それが一番いい形になっている、この物語全体の構成、素晴らしいなあと思う。で、5話目のほろりとさせるところ、6話目になって微妙に変化する星野と繭美、そのあたりも堪らない。

編集者との間でこの企画が持ち上がったとき太宰治の未完の作「グッド・バイ」の続きを、みたいな話から着想したそうなので、太宰さんも読んでみる、かな?

PS
bye bye blackbird という歌は ”blackbird” が何を指すのかによって解釈が分かれるようだけれど、不幸とか不吉なことを指す暗喩といわれているそうで、それならば、こんなよくない状況に別れをつげて、もといたところに帰るよ、というような歌詞になるそう。もともとは女性視点で書かれた歌詞のようで、一説によると売春宿のようなところにいた女性を描いたものだとも言われる。とすると、この伊坂作品の場合は、逆になってるのかな。わざとかな?w

双葉文庫 2013

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伊坂幸太郎 – オー!ファーザー

割と最近映画化されたようだけれど、もちろん見る気はあんまりない。全然別作品として楽しめるならいいのかもしれないけれど、こうやって本を読んでしまうと、どうしてもそのイメージ(とくに勝手に作り上げたキャラの像など)を守りたくなるので、映像(それがとてもよくできていたとしても)に少しアレルギー反応起こしてしまうことがあるから。とくに日本が舞台になったりすると(いまのところ伊坂作品はほとんど日本ばかりですよね)、もちろん日本人の俳優さんや女優さんが出てくることになるわけだけれど、あまりイメージと合わないのよねぇ。あ、でも「陽気なギャングが〜」はなかなかいい線いってたような気がする。でももっともこれは映像を先見たからかも。

で、この作品。こうやって文庫本として出版されたのは結構最近なのだけれど、作品としては結構古く2006年に新聞に連載されていた作品だそう。なので、刊行された順に読んでいる身としては、「あれ?」と少しなってしまう感じがしたけれど(少し文章の感じが)、相変わらずうまく読ませてくれるのでそんなことは気にならずにずんずん読んでしまった。

ごく普通の高校生である由起夫なのだが、実は人にはいえない普通ではないところがあり、それは「父親が4人いる」ということだった。母親がこの4人と同時に結婚したのだ。もうこの辺でへんてこな設定だけれど、想像したようにこの4人の父というのがうまくキャラの描き分けされていて、野生の勘だけで生きてるタイプ、男らしい力強さを持つタイプ、憎めないぐらい女にモテるタイプ、知性があり冷静沈着に物事を判断できるタイプ。どれも男の子がいつかなりたいとおもうタイプなのかもしれない。主人公はその状況から彼らに素直になじめないのだが、少しずつ(いい意味で)影響され、自分でも知らないうちに全うな人間に成長している。

お話としてはよくあるように、あちこちに張られた伏線が、ある事件のもとにひとつにすっとまとまるという伊坂さんの作品らしいパターンではあるのだけれど、この主人公が成長していってる(ように見える)のがひとつほかの作品と違う感触を得るところか。

個人的にはやはり悟さんの含蓄ある言葉がおもしろいなーと。

2つほど数学の問題(命題?)がでてくるのだけれど、解けない、くやしいw

2013 新潮文庫

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