戒め

20180618-1  20180618-2

昨日の朝、大阪北部を震源とする最大震度6弱の地震があった。大阪で震度6弱というのは観測史上初らしい。ぼくのいるあたりでも5強ぐらいは揺れたんじゃないかと思うけれど(4階というのもあるだろう)、揺れが始まった瞬間に飛び起きた。「うわーー」とか意味のない声をあげて、近くの壁にへばりついていた。やっぱりとっさの時にはほとんど何もできない。

それよりも揺れを感じながら、このままこの揺れが大きくなっていって大地震になったらどうしよう、という恐怖が先に立った。幸い揺れは10秒ほどだし、どんどん大きくなるといったことはなかったけれど、昨日一日その地震の恐怖でフラフラだった。

もう23年も経ったのに、阪神大震災のことを全然忘れていない。意識的にはだいぶ忘れているつもりだったけれど、実際ああいう大きな揺れに晒されると体の奥から恐怖が蘇ってきた。実際阪神大震災のあの揺れの瞬間のことを映像のように思い出した。体が覚えている。しかもその後余震があるたびに頭がクラクラし、自分では平気のつもりでも体が震えている。情けないけれどこれが現実で、過去のトラウマは簡単には去ってくれないよう。なのでそれを理解して共存するしかない。

東北や熊本や淡路やらで大きな地震が、昔に比べると頻発するようになってきているけれど、普段の自分の世界にあまり影響してこないと、対岸の火事のように思い込んでしまっている自分がいるということを昨日思い知った。いつ自分の足元で起こってもおかしくない、そんな時代に生きているんだということを、新たに強く認識し直さないといけない。災害に対する準備もだけれど、もっと、普段からの覚悟というか、心構えが。

それは、格好をつけるわけではないけれど、その日一日を一生懸命生きたかどうか、ってことに尽きるんじゃないかと思う。どんなことでもいいから自分が満ち足りたり、誰かが喜んだり、少しでも前進したり、そこまでいかなくとも努力したと思えたり。そういう日々を送ることが一番大事だと、いまは思う。

地震などの自然災害は実際避けることはできない。あるものだ。昨日も揺れが収ってから地震のアラートがきた。結局自分を守るのは普段の自分であり、どうあっても後悔しないよう生きていくことだ。

昨日の地震をうけて、うろたえている自分に対する戒めとして。

2018.6.19 武井

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