宮本輝 – 夢見通りの人々

あまり宮本輝は読まないのだが。この小説はふんわりしてていい感じ。なんでもない日常をちょっと情けない主人公の目を通して描いたもの。

大阪のどこかを想定して書いてるのだけれど、阿倍野でもなく千林でもなく、なんとなーく住之江のほうめんの雰囲気がする。昔はちょっとはやったけれど、いまはくたびれた商店街、そんな感じ。その感じが実際いまもそういうところがありそうで、リアルさを感じる。

しかし主人公があまりにものんびりというかだらだらしてるので、ちょっと危機感を憶えたりするのだけれど、実際自分がそのころはこんなんだったのかなと。

そんな主人公のわりには、なんだか明るい気分になる小説でした、ちゃんちゃん。

新潮社 1989

宮本輝 - 夢見通りの人々
宮本輝 – 夢見通りの人々

井上靖 – 氷壁

先日NHKでドラマ化された小説。昭和30年すぎの時代設定なので、その時代背景の感じになれないとなんだか横暴な男ばっかりやなーと思ったり、会社適当やなーとおもってみたり。なんとなく森重久弥の「社長」シリーズの映画を思い浮かべてみたり(あれもうちょい時代こっちか?)

めちゃくちゃ長い小説なので読破するのに時間がかかってしまったが、ながい時間をかけて読むことによって作者が描きたかった主人公の人物像がじんわり自分のなかへうつってきて、なるほど山へ登りたいのいうのはこういう気持ちなのか?ということがうっすらぼんやりわかるようだった。

相棒の滑落の謎とそれにまつわる主人公の苦悩、そしてまきこまれた人間たちとの間の愛、葛藤などさまざまな人間模様が描かれるが、そういうどちらかというとじめっとしたもののなかにありながら主人公が山へ登りたいという単純でかつ最高の目的のためだけに淡々としている姿が妙にじんとくる。

結局「山男には惚れるなよ」という話なのか?

最後まで井上靖作品であることに気づいてなかった(^^ゞ

新潮社 2005

井上靖 - 氷壁
井上靖 – 氷壁

乃南アサ – パラダイス・サーティー

彼女の作品はなんだかすっごいリアルで違和感なく読めるのがおもしろい。

30を目前にした2人の女性(一人はOL、ひとりはオナベ)が主人公。30前に二人とも大きな恋愛をするのだが、それがどうもうまくいかない・・・というような話なのだが、ま、それよりも、OLのほうの女性像がもうとっても「イーーーッ」となるタイプで、読みつつなんども「なんとかせー!」と突っ込んでしまって大変だった笑

30を越えてしまってからでは、なんだかあまりもう「もうすぐ30だぜ。どうするんだべ?」的焦りの感覚ってのは薄れてしまったけれど、誰しも少しはなんだか焦りを感じるものなのかな?よく考えたら29も30も実質上は25と26の差と同じなのにね。なんかへんな節目つくってしまうよねぇ、とくに日本人って。

結局話的にはあーあとなってしまうが、ほんのりうれしげな気持ちをもらえる本でした。

新潮社 2003

乃南アサ - パラダイス・サーティー(上)
乃南アサ – パラダイス・サーティー(上)

乃南アサ - パラダイス・サーティー(下)
乃南アサ – パラダイス・サーティー(下)

村山由佳 – 星々の舟

ある家族の母(継母だった)の死を契機に描かれる家族模様。娘の視点、兄の視点、腹違いの妹の視点、末っ子の視点・・・・などなどいろんな視点から、彼女の死からはじまる波紋を描き、ひとつの家族とはどんなんか?みたいな話(になってるんだとおもう)。

とくに最後の章の、その夫の視点で語られる物語は、戦争体験に基づくものになっており、先妻とのこと、そして後妻とのこと、そして戦時中に出会った女性のことが描かれるのだけれど、そこで作者が語ろうとしたことが、まだちゃんと理解できていないけれど、幸せとはどういうことなのか?という作者なりの意見をふっと感じさせる、そういうところがとても気に入って、気になった。

人の幸せって、何やろね?

文芸春秋 2006

村山由佳 - 星々の舟
村山由佳 – 星々の舟

辻仁成 – 千年旅人

3編からなる中編集。

どの編も少し寂しい。せつない。そして狂ってる。とくに3編目である「記憶の羽根」は小説、文章というよりコトバの色彩という感じ。相変わらず読むのに作者が意図したものと同じスピードで読ませることを強要させられるかのような文体。

1編目「砂を走る船」は自らの手で映画化されているそう。

集英社 2002

辻仁成 - 千年旅人
辻仁成 – 千年旅人

辻仁成 – クラウディ

この人の本はいつも衝動的。破壊的。刹那的。行間ににじみでる苦悩や感覚のズレ、そういったものに病的なまでに固執しているのか、苦しいとともに哀しくなってしまう。

もう自分の中では過ぎ去ってしまった30歳という年齢だけれど、たしかにその頃はなにかわからない焦りに悶々としていたような気がする。そういった気持ちが実に絵画的な視覚的な聴覚的な方法によって描かれている。

人生をリセットする・・・・・机上の空論なのか、実現可能な夢なのか?

集英社 1993

辻仁成 - クラウディ
辻仁成 – クラウディ

石田衣良 – 4TEEN

またまた石田さんの作品。彼はこの作品で直木賞をとった。本人はあぁいう直木賞にあるような重厚な文章感のある小説でないのになぁ、と漏らしてたらしいが(あとがきかなんかに書いてた)、いやいや、いまの時風をほんとうまく描いてると思うな。すごいよなぁ。

この人の描く少年たちの素顔はほんと飾らなく、大人の希望的観測もはいってなく(多分)、ほんと、今生きている10代の子たちの気持ち、行動などを実に的確に表現してると思う。もしかして相当のリサーチをしたのか、すごくわかりやすい事例がそばにいるのか、はたまた彼がまるで10代の少年のような感覚をもっているからか、わかんないけれど、読んでみて、なるほどこんな風に感じてるのかなー、僕らの頃と一緒のところはいっしょだけれど、違うところ、進んだところ、寂しいところがあるのね、なんてことが感じ取られる。

物語的には現在東京版(ま、正確には千葉だが)スタンド・バイー・ミー的なものなのだが、やっぱり、あぁいうような、「こんな少年達だったらいいねぇ」「平和ねぇ」っていうところじゃなく、ほんと隣に住んでそうな、まさに今の子供たちって感じがする。

だから、いま、子育て中の父親とか、中学の先生とかに読んでほしいな。なにかヒントがあるかも(無責任な意見だけれど)

新潮社 2005

石田衣良 - 4TEEN
石田衣良 – 4TEEN

石田衣良 – うつくしい子ども

殺人者になってしまった弟を持つ兄をめぐる物語。犯罪後の家族やまわりの大変さがうまく描かれている。いつぞや似たような本を読んだな。

それよりもこの石田さんの本でつくづく感心するのは、少年たちの心理・行動・文化をよく見てるなーと感じるところ。大人たちには理解しがたい行動や思考をする(と感じる)彼らを、実に的確に描いている。なるほどそういうふうに考えるのか?と思ってしまう。まるで作者自身が少年であるかのよう。

いまのお父さん世代の人が読むと、自分の子供を理解できる助けになる、かも。わかんないけど。

しかし子供たちは残酷。で、かわいそう。単に無邪気なだけでいられたらいいのに、今の子供たちは社会の部分部分に器用に自分をあてはめ、場合場面で使い分けられる。だから本当に落ち着くとこがどこかわかんない・・・といったそんな気持ちが描かれてるように、思う。

文芸春秋 2001

石田衣良 - うつくしい子ども
石田衣良 – うつくしい子ども

中島らも

らも氏への追悼本。選びに選ばれた20本の短編から始まり、野坂氏との対談、関係者のトーク、まわりのひとたちからのメッセージや、以前のらも論などをつづったもの。

あらためてらも氏の文章は面白い。とんでもなく。それと自分ではすっと読んでしまってたものが、実はこうこうこういうことなのよー、とほかの人が解説してるのを読むと、なるほどなるほどと思わされる、そういう風にはみてなかったからな。改めて作品読み直していきたいな。

ほんとすごい人だった。会いたかった。

河出書房新社 2005

中島らも
中島らもv

沢木耕太郎 – 敗れざる者たち

大好きなルポ・ライター(というのが正しい呼び方なのかはわからない)沢木氏の短編集。ボクサーや野球選手、騎手などを追うもの。

栄光のそばにはかならず陰がある。普通は何気なくやりすごしてしまう、たとえば「栄光と挫折」のようなよくある構図であっても、その中には入り組んだ、本人しか分かりえなかった事実が脈々と横たわっているに違いない。何かひっかかりをもった作者がそれをルポ形式で追い求めていく、その文章が、若くて、それゆえストレートに作者の視点・気持ちが伝わってくる。

まるで作中の本人になったかのように読める作品だと思う。面白い。

文芸春秋 1979

沢木耕太郎 - 敗れざる者たち
沢木耕太郎 – 敗れざる者たち