鬼海弘雄 – ぺるそな

persona

いしいさんのごはん日記で(三崎日記だったか?)で、すごく素敵な写真集が出たと書いていた写真集の普及版。写真家・鬼海さんが1973年から2003年まで、東京は浅草の浅草寺の境内のほぼ同じところで撮影した人物の写真集。いしいさんが素敵という写真集ってどんなもんなんだろうと思って手に取って見たもの。こいうとこミーハーというのか、影響されやすいというのか^^; でもこういう風に数珠繋ぎ的に新しい本に出会っていくという行為は冒険のようで面白いと思う。

鬼海さんが構えるカメラの前に立つ浅草寺を訪れたのであろう人物たちが単にモノクロの写真に収まっているだけなのだが、きっと撮影の時に交わした一言二言から添えられたキャプション(「寡黙な人」だの。「万歩計をつけた、真っ赤なネクタイの人」だの、「パワーシャベルの操縦者」だの)と、その写真にうつる人の姿から、じわりじわりとその人となりが浮かび上がって物語が聞こえるような気がする。中には数年経って(長いと15年とか)同じ人物を撮影しているものもあって、その人の上に流れた時間を感じることができる。

何でもない(というと失礼なのかもだけど)市井のひとたちの、しかも決定的瞬間ってわけでも、写真的なドラマがあるわけでもなく、ただただ立っているだけの姿なのに、この説得力はなんなんだろう?もしかすると鬼海さんのすごい嗅覚によって選びに選ばれた人たちなのかもしれないけれど、やっぱりどんな人にも同じ時間の分だけの物語があるってことなのだろうか?それほど写真から、その人となり(それが単に想像の代物だったとしても)が見えてくるのが面白く、何度でもページをめくりたくなる。モノクロで、背景もほとんど同じというために、より一層人物が浮かび上がって見えるのかもしれない。

あと70年代や80年代、90年代と移るにしたがって服装もだけれど、人々の中身(?)が垢抜けて言ってるように見えるのも面白い。70年代の写真なんてモノクロだからかもしれないけど昭和初期にも見えたりする。それと2000年代になると写真の質が違ってみえるのは、もしかしてデジタルカメラになったのかな?

写真を通して鬼海さんというひとの匂いが伝わってくるよう。音楽もそうだけど、こうやって作品からそういうものが見えてくるのはとても興味深いこと。とてもいい、そして面白い写真集だとおもった。ぺるそなシリーズはまだ続きがあるらしいので、そちらもいづれ眺めてみたいな。

あと、この普及版には鬼海さん本人のエッセイがあとがきも含めて5編収録されていて、これもまた鬼海さんの人が垣間見えるような文章でいいなーと思った。

草思社 2005

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伊坂幸太郎 – ガソリン生活

gasoline

コロナウイルスによるキャンセルの投稿ばっかりになって、めげてしまいそうなので、サボっていたレビューを。この作品、実はだいぶ前に読んでいたのだけれど、レビュー書かずに置いたままになってて、時間も経ったのでもう一回読んでみた。いやーーー、最初に読んだ時も面白いと思ったけれど、もっと面白く感じられた。やっぱり伊坂さんの作品は、緻密で、ユーモアに溢れている。そのおかげで実はかなり怖いこと書いてあっても(実際に現代社会のそこかしこにある闇)、そこまで怖く感じられないのがいい。

さて、この話はタイトルにあるように、ガソリンで生活するものが主人公。それは緑のデミオ。つまり車。でも例えばアニメのカーズのように車が自分で行動して大冒険!みたいなメルヘンチックなものじゃなくて、車は所詮車で、人間に運転してもらわないと動けないし(もちろん自分の意思で行きたいところに行くってこともない)、人間とコミュニケーションできるわけでもない。でも車はみんな人格(車格とでもいうのか?w)を持っていて、車同士はその排気ガスが届く範囲では会話ができる。自家用車はたいがい自分の所有者のことが好きで、働く車は一目置かれやすく、タクシーはおしゃべりが多い。そして車輪が多い方が偉いと思われてて車はみんな貨物列車に畏怖の念を抱いている。そして彼らが一番恐れるのは廃車w。車検が近づくと落ち着かない気分になるそうw また同じタイヤを持つものでも、バイクや自転車のような2輪は少しバカなのか(車が言うところによると)会話は成り立たない(「※★Φ!」とか言うw)。でもデミオはいつか会話できるかもといつも声をかけたりする。

というような、設定がほんとに面白い。本当に驚いたら「思わずワイパーが動くような」気持ちになったり、憎いやつは「ボンネットで挟んでやりたく」なったり、悲しくなったら「マフラーから水滴が落ちる」ような気分になる、などなど、きっと伊坂さん車になりきって思いっきり想像したんだろうなー的な描写がたくさんで、これまた楽しい。

その緑のデミオの所有者は望月さんで、夫に先立たれた妻と子供3人の家庭。名前そのまんまの弟言うところのベリーグッドマンである長男・良夫。思春期に入って何かと反抗がちな長女・まどか。そして望月家でいちばん聡明で子供とは思えない10歳の次男・亨。ある日良夫と亨が車で出かけていた先で停車していると、乗り込んできた女性がいた。それは誰もが知る元女優・荒木翠だった。彼女は追われているらしい。ある人と合流するのだという彼女の言われるがまま送り届けて別れるが、次の日彼女が事故死したというニュースが。荒木を車に載せたことや、そのあとの急死を巡って新聞記者などと繋がるうちに、望月家はやっかいなものごとに巻き込まれて行く。。。

結局は傍観しかできない車たちが(物語は彼らを通して語られる)どう感じ、何を話し、そして望月家のみんなはどうなるのか?ハラハラドキドキするし、ものすごい怖い話もさらっと語られるけれど、伊坂さんのユーモアとめくるめく展開にすべては見事に昇華される。ああ、素敵、面白い!そして物語のエピローグが素敵すぎる。もし本当に車たちがこうやって会話してたらと想像するだけで本当に楽しいし、愛おしくなる。運転はきちんと、アクセルとブレーキは優しく。

しかしほんと読めば読むほど、伊坂さんの作品はちょっとしたことも無駄なく繋がって一つの物語を紡ぐように書かれている。ほんのちらっとでたことが後に大きなポイントになったり、ほんとに緻密だなーと思う。もしかしたら伊坂さんが作曲家になってても、すごく緻密な曲かけるんじゃないかーと思ってしまう。仙台でうろうろしてるときに、ふっと出会ったりしないかなあ、密かにいつかそういう機会ないかなーと楽しみにしてるのです。

p.s.
緑のデミオの所有者望月さんちの隣の細見さんちには古いカローラ、通称ザッパがいる(細見さんがフランクザッパが大好きだからw)。伊坂さんの作品は必ずといっていいほど音楽ネタがでてくるけど、今回はこのザッパの語るフランクザッパの名言たち。

「人間のやることの99パーセントは失敗なんだ。だから、何も恥ずかしがることはない。失敗するのが普通なんだからな。」

「一部の科学者は宇宙を構成する基礎単位は水素だと主張するが、それには賛成できない。水素はあちこちに存在しているから、というのなら、水素より数多く転がっているものは愚かさだ。愚かさが、宇宙の基礎単位だ」

他にもいくつか出てくるけれど、ほぼ聞いたことないフランクザッパに急に興味が湧いてきた。

p.s.2
ちなみにこの文庫本版には、気づきにくいけど、カバーの裏に「掌編小説」と銘打って短いエピソードが描かれている。これがまた素敵で、こんなことやってみても楽しいだろうなーって思ったりも。ほんと伊坂さんありがとう。

朝日文庫 2016

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いしいしんじ – プラネタリウムのふたご

puranetarium

いしいさんの本は、いつもどこかへ連れて行ってくれる。今いる世界とどこかで繋がっているような気もするけど、もしかしたら時間も空間も別な場所なのかもしれない。でもなぜか知ってるような世界。

山に囲まれた小さな村、そこは田舎で人々が和気藹々と暮らしている。そこには大きな製紙工場があってたくさんの人がそこで働いている。製紙工場からでる煙や、昔からの土地の成り立ちのせいで一年中もやがかかったような空。そこにプラネタリウムがある。泣き男とよばれる男が毎日その素敵な語り口でその町では見ることのできない夜空を投影している。ある日、そこに綺麗な銀髪をした幼いふたごが捨てられていて、泣き男は彼らを受け入れて育てていくことにする。テンペルとタットルと名付けられた2人はすくすく賢く育ち、彼らの側にはいつも泣き男の夜空の、星座の神話のおはなしがあった。

ある時町に手品師のテントがやってきてふたごは魅了される。そしてひょんなことからテンペルはその一座についていってしまうことになり、やがてテンペルは手品師(しかもすこぶる腕のいい)に、そしてタットルはプラネタリウムの星の語り部となる。二人の行く末は、村の未来は?

いしいさんは村のはずれにすむ不思議なおばあさんの口を借りて言う「だまされる才覚がひとにないと、この世はかっさかさの世界になってしまう」。手品はその高い技術でもって現実にはありえないことを目の前で起こせてみせる、そしてプラネタリウムは実際の夜空ではないのに、それ以上に美しく星々を投影してみせる。夢のあること。でも両方ともたねや仕掛けがあって、目にはそう見えたとしても、本当は上手につくりあげたうそ。でもそれを信じて騙されないと楽しめない。悪い人に騙されるのは違うけど、そうやって気持ちよくちゃんと騙されることによって世界はとても滑らかに繋がっていく。

とかくなんでも四角四面に、細かなことも明らかに、ルール、とりきめ、そういうものでしか回せないような世の中はもうギスギスしてきている。そうじゃない、いい嘘とそれとわかって気持ちよく騙されることによって滑らかになることはたくさんある。そんなことを教えてくれる物語。実際そうあって欲しい。いやだ、いまの世の中のかっさかさ加減。

もっと感想あるんだけど、物語のこまかいことより、この言葉が嬉しかった、沁みる物語。いしいさんありがとう。

講談社文庫 2006

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島田荘司 – 御手洗潔のダンス

mitarai-dance

初めて読む島田さん。この本はたしか伊坂さんが面白いシリーズでって書いてたので手に取ってみた。御手洗シリーズの何冊か目なので、設定がいきなりわかんないところもなくはないけれど、1話完結みたいな感じなので違和感なく読めた。

天才の名探偵御手洗が、世の中に起こる摩訶不思議な事件を彼の奇想の中でひもとく。空を飛べると言い放つ画家の謎の死、そこにいないはずの人間による犯罪、ふらふらと謎の踊りを踊ってしまう奇病の原因とは、などなど、どれも状況からはまともな事件には見えないが、それを御手洗がみごとに解決する。

全然違うところから、いろんな要素や状況が集まってパズルのようにぴたっとはまって全体がわかる、っていうパターンでは伊坂さん好きそうだなーっておもう。そして物語の書き方も、御手洗の事件の様子とその解決をその助手のようなことをしている石岡が記事として書く、というスタイル。視点が石岡なので彼も読者と同じく、謎がわからない状態で話にはいっていくので物語に入りやすい。

物語上でもこの謎めいた人物・御手洗はとても女性に人気あるという設定になってるんだけど、確かにこの謎多い人物は魅力的。文章だから容姿はわかんないけれど、面白い人物なんだろうなーと想像。シリーズの他の作品も読んでみよう。

講談社文庫 1993

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小川洋子 – 人質の朗読会

タイトルがまず不思議。小川さんって感じ。日本から遥か遠く離れた場所で旅行者を襲撃する事件があり、日本人8人が拉致された。最初は事件にこそなったものの勾留は長く続き世間からは忘れられて行った。しかしある日その国の特殊部隊が彼らを解放しようと突入したのだが、犯人グループが爆破したため人質は全員死亡という悲しい結末になってしまう。

そこから年月が経った時、その突入作戦のために盗聴をしていた兵士から、その録音テープが遺族にもたらされる。ある記者がそれを聞きつけ、遺族たちと話し合って、それが公開されることとなった。その内容は勾留を嘆いたりするものではなく、彼らがその時間を苦しくないものにするため、一人一人それまでの人生で記憶にのこる出来事をまとめ記して朗読するというものだった。

全体の話の作りはおいておいて、9つの話(人質となった8人と、盗聴していた兵士1人)が出てくるのだけれど、どれもが、いわゆるすごく普通の人生を送っている人の、なんでもない出来事だけれど、ふとした時に思い出すような、少し特別な出来事、というものが語られる。それらはその人にとっては少し特別であっても、普通は埋もれてしまうようなもの。でも小川さんがいうように、誰にもひとつふたつは人が耳を傾けたくなるような出来事があるもの。それくらいのお話が淡々と語られる。

ぼくは「B談話室」と「やまびこビスケット」の話がとても好き。夜とか日陰のような目立たない場所で、ほんの少しの人の間だけで起こったり共有されるような出来事。ほとんどはそういうことの積み重ねで人生なんてできていると思う。それらは大きくドラマチックで派手ではない普通の物事なのだけど、そうした小さな物事の中にもさざ波はあって、それらによって人生の、時間の、濃淡が出来上がっていくんだと思う。そういうほんと小さいことを丁寧に描写する小川さんの文章は本当に素敵。9つの話はどれも、誰かが実際に体験してそれを語ってくれたことのように、しっとりした感触、生きている感じがする。でもすこしどのお話もズレた感じがする。でも誰の人生にもそういう瞬間や時期があるなあ、とも思える。

手のひらでそっと包んで大事に心に受け止めたくなるこの物語、なぜか寂しくでも嬉しくなって、繰り返し読んでしまう。いい本。ありがとう。

中公文庫 2014

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磯田道史 – 無私の日本人

備忘録的に。昨年機会があって、この本に収録されている人物の一人、穀田屋十三郎の話を映画化した「殿、利息でござる」を見たことや、最近テレビなどで日本の歴史のことをいろいろ話したりしているのを見て、磯田さんに興味が湧いて手に取った本。

この本には磯田さんが調べ上げて綴った3人の日本人の物語を掲載。その映画の原作となった穀田屋十三郎。彼は仙台藩の片田舎の貧乏宿場町の商人。税や使役で疲弊していく町の行く末を心配した彼は常に財政難の藩にまとまった金を貸してその利息を得るという奇想天外な方法を思いつく。そのためには破産も一家離散も辞さない決意だったが、町の人々の協力も得るが、簡単にはいかず難航する。それでも諦めずトライし続ける彼はやがて、、、

そして資料がほとんどのこっていないが日本一の儒学者、詩文家と呼ばれる中根東里。書が好きであちこちに師事しては書を読み漁り、多大な知恵と知識をつけた彼だが一切士官することはなく、村の片隅の小さな庵にすみ、村人に彼が得た人生の知恵を語りつづけた人物。

そして最後は高貴な血を引きながらも下級武士の幼女となり、絶世の美人出会ったが故に数奇な運命を辿り、やがて出家して己の美貌を自ら破壊し、歌人そして焼き物よくした太田垣蓮月。彼女は名誉も求めず歌集もださず、焼き物で得た多額の金はことあるごとに貧者を助けるために投げうった。

ここに描かれた3人は歴史的には全く無名の人々だが、己のことを顧みずに周りの人々や村や世間のために全てを投げ打てる、まさに”無私の日本人”たち。彼らの人生を通して、現代の我々が忘れてしまっている幸せとはどこにあるのか?ということを教えてくれる。

この本の評伝を読むと、ほんと今は醜い世の中だと思わされてならない。それは日本に限らず世界全体でのように感じられる。もしかすると気質としては変わってないのかもしれないけれど、そういう風に仕向けられる世の中にコントロールされているように思えてならない。そこから脱却するのは難しいかもしれないけれど、自分をもう少し律したり、静かに考えたり、いろいろ誘惑や攻撃をしてくるメディアなどから少し距離を置いたり、いろんな方法で本来の人間の、自分の周りの、ひいては世界の幸せというものを考えることができるんじゃないかと思う。

決して何か大きな力ではなく、個人個人の思いと少しの行動で、この閉塞感ばかりの流れは変えられるし、幸せを感じられる世の中にすることができるんじゃないか、という希望を持たせてくれる物語たちだった。勇気がでたり、熱くなる、そういう本だった。単純すぎるかな?

2015 文集文庫

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いしいしんじ – ポーの話

なんのかんのでいろいろ読んできているいしいさん。この物語はだいぶ時間がかかってしまった。うなぎ女と呼ばれる川にすむ黒い女たちの間に生まれたポー。彼は手足の指の間に水かきがあって人とはちょっと違うのかも。大事に育てられたポーは恐ろしいほどに純粋無垢。裕福な人々が住む街と貧乏な人が住む街の間を流れる川に住み、泥の中を自由に泳ぎながら、川に架かるたくさんの橋を眺めたり、陸の音を聞いたり、泥の底に沈むものを拾い上げたり、そんな日々を送っていた。たまには陸にも上がって、何人かの変わった人物にも出会い、無垢な彼はいろんな人生の物事を知っていく。悪とは?本当に大事なものとは?

そんな中大雨が降って街は水浸しになり、それを機会に母なるうなぎ女たちから離れてポーは下流へと旅立つ。そしてまた流れた先で、狩をする老人と犬と少年に出会い、鳩レースに勤しむ参拝埋め立ての夫婦に出会い、人生について、いろいろ教えられる。そしてやがて彼は海へと出る。

細々としたポーにまつわるエビソードもいしいさんらしくて、怖かったり、何気に恐ろしかったり。するものもあるけれど、いしいさんの手にかかると何もかもかも少し可愛らしく感じるから不思議。ポーの半生(なんだろうか?)がうなぎの一生になぞられて描かれるのも面白く、そういう過程を経て、たいせつなものとは何かを教えてくれるように思う。あからさまじゃなくて、少し遠慮がち、というか、静かに。

ひとつひとつはちいさくても、それらは実はおおきな流れのなかのひとつであって、その大きさを感じた時に、ぞわわと迫ってくる表現しにくい感覚が素敵。この物語を読んでいても、まだお会いしたこともないのに、いしいさんが目の前で、もしかしたら寝そべりながら、いや、きちんと正座をして、話してくれているような気がしてしまう。ああ、感想うまく書けないや。

2005 新潮文庫

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坂木司 – 和菓子のアン

初めて読む坂木さん。最近洋菓子よりも和菓子に興味が湧いてきたこともあって手にとった。タイトルも可愛らしいし。高校を卒業していまいちやりたいこともなく浪人するでもなく目標を持てなかった18才の主人公・梅本杏子(通称アン)。せめてバイトでもと考えて偶然出会ったのが、デパ地下にある和菓子やさん「みつ屋」さん。

食べることに目がないアンだが和菓子についてはまったくの素人。そこを毎日どたばたしながらバイトをこなしていく。このみつ屋には個性的なメンバーが。美貌の中におっさんが隠れている店長・椿、可愛い見た目なのに元ヤンの同僚・桜井、知識豊富で職人希望でイケメンなのに中身は乙女な立花、そのほかにもフロアの他店にも面白い人が。そしていろんなお客さんがやってきて、その度教えられ成長していく。

和菓子の美味しさもだけど、名前にまつわる由来、豊富なお菓子の種類、そしてアンの成長していく姿。読んでいてワクワクする。そして和菓子美味しそう。最近和菓子が好きになってきた。洋菓子も美味しいものいっぱいあるけれど、あの和菓子の一つ食べたらすごく満足する感じや、中に封じ込められたいろいろなもの、可憐さ、などに今更気づいた。歳をくうと味覚の嗜好も変わるのかな。なんせ美味しそうな物語で、嬉しくなるようなお話たち。

続編もあるようなので、早く読みたいな。

光文社文庫 2012

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有川浩 – キャロリング

caroling

久々に有川さん。タイトル通りクリスマスが関わってくるお話だけれど、それが主題というわけじゃない。各章の扉にクリスマスソングの歌詞が書いてあるんだけれど、やっぱりいいなあ、クリスマス曲。

頑張っていたけれどクリスマスに畳むことになった子供服メーカーに務める俊介。同僚には元恋人の柊子もいるが、それはとても不幸な別れだったのでいろいろ気になっている。そしてこの会社は別に子供シッターの事業もしていてそこに子供たちが集まるわけだが、会社を畳むことになっても最後まで残った小学生の航平。俊介と柊子の別れの原因は俊介の親の問題だった。そして航平の両親も問題を抱えている。触れられたくない見たくない言えない過去の問題、今目の前にある自分の両親の危機、そんな男二人の悩みと波乱に柊子も巻き込まれていく。

両親をなんとかつなぎとめたい航平に協力する柊子とそれに付き合う俊介。それにやっかいな借金の問題まで。そこででてくる物語上では悪役扱いになる赤木やその手下。普通ならそんなこと書かないだろうに、彼らの過去や人となりなんかも出てくるものだから、単に憎めなくなってくる。どの人にも人生や物語、そこに至った経緯がある。このあたり有川さんにくいなあ、と思う。

さて登場するひとたちはどんなクリスマスを迎えられるのか。はらはらとまでは言わないけれど、ドキドキする(それは事件も恋愛も、ゴタゴタも)展開。そこに有川さん特有の、いってしまえば元祖オタク的心情表現が加わるのでほんと面白い。わりと厚いけどすぐに読んじゃった。トラウマを抱え真面目で正義感つよいけどすこし拗ねてる俊介と、生意気だけどやはり子供だなーとおもわせる航平が幸せになってほしい、と願い読む物語だった。

幻冬舎文庫 2017

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打海文三 – ぼくが愛したゴウスト

gousuto

初めましての打海さん。全然今まで知らなかった作家さんだったけれど、伊坂さんが好きな作家さんにあげてたのと、前に読んだ「3652」というエッセイの中でこの本を取り上げていたこともあり、手に取ってみた。

主人公は臆病で真面目な11歳の翔太。夏休みのある日ひとりでいったアイドルのコンサートの帰り道、駅での人身事故に身近に遭遇した時から世界に違和感を感じるようになる。両親が、姉が、そしてまわりの人々が「臭い」。どこか笑顔がぎこちない感じがする。。。。そんな中、その事故のときに翔太に声をかけて来てた謎の男が現れ言った「俺たちは迷い込んだらしい」。

どうやら元の世界と隣接している並行世界に何かの拍子に移動してしまったらしい、といっても何の確証もない。わかるのはその男ヤマ健と翔太の感覚だけ。家族に相談するが理解されず、逆にいぶかしげられた翔太は国から追われる立場に。そういった迷い込んだ人物は自分たちだけではなく、昔から少しずついたらしい。。。。彼らは元の世界に戻れるのか?翔太の成長と旅立ちの物語。

実際SFサスペンスぽい側面が大きくて、いったいこの先どうなるんだろう?とワクワクしながら読み進むのだけれど、この物語の大きなテーマはそういうSFという部分じゃなくて、人間ってなんだろう?コミュニケーションって何だろう?という部分だと思う。翔太が迷い込んだらしい世界(これについても結局確証は得られない)にいる人々は、元の世界の人々とそっくりで、翔太の両親も姉も友達もいて、世界自体も全く同じ。違う点は匂い(それはし進化の途中で分かれた分泌物の違いによるものじゃないかと推測)、そして本人たちも認識している「心がない」ということ。

「心がない」、でも言葉と態度でコミュニケーションはできる。何かに対して感情的なアクションもある。「心がある」とは自分に何か起こったときにそれにリアクションをする自分を見つめる自分がいること(、、、らしい)。行動の元になる感情を感じる自分が自分の中にいるということ。迷い込んだ世界の住人たちは同じリアクションしたとしても、それはそうすべきだからであり、単なる反応であるらしい。でもそれはそれで世界は成り立っているし、恋愛はあるし、喧嘩もある。その世界の研究者はこういう意味のことを言う「世界はすべて演技。そういう反応をしたほうがいいから、そういう反応をするのだ。そこに心はない」

じゃあ、心ってなに? 実際、有機物の活動(人間も動物も植物もみんなそうだ)から「心」という概念が発生することを証明したものはいない。なのに、僕たちは「心」というものの存在を感じている、または、信じている。翔太とそれを取り巻く世界の物語を通して、心って何だろう?ぼくたちが生きていってるなかで感じる感情ってなんなのだろう?という問いをされる作品である気がする。

まったくうまく感想をかけない、、、伊坂さんの解説がとても分かり良くていい。とにかく物語としてはとても面白く、翔太の成長もうれしく、、、でもすべてが安心、丸く収まるわけじゃないけれど、なにか希望がもてる物語だった。打海さんの作品ほかも読もう。でも打海さんは2007年に急死してしまっている。

2008 中公文庫

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